ビューティフル・ワールド
プロローグ
柳瀬和希(やなせかずき)が彼女の絵を初めて見たのは、美術大学を卒業する年の冬だった。
もういい加減、卒業制作に取り掛かるか、あえて留年するか、はたまた大学院を受験するか。
周りの学生たちと同じように、未来への道筋を選ばなければ、しかしお茶を濁すように。
漠然とそんなことを考えていた頃だった。
『最優秀賞 1年 絵画科油画専攻 茅野りら』
校内のロビーに飾られた彼の身長ほどある大きな絵の下には、そう書かれた札がかけてあった。
ただそれだけだった。
けれど結局、それが彼の将来を決定した。
鮮烈な絵だった。
人の居ない青々とした並木道。
一見、平凡な風景だった。
けれど、誰もがその瑞々しさ、そして溢れんばかりのその光に足を止めていた。
多くの若者が何浪してでも入学するような、権威ある美術大学の、
しかも花形である絵画科に現役でさらりと入った茅野(かやの)りらは、その年に行われた学内コンクールに出品し、
全学生の頂点に選ばれたのだった。
全科合同のそのコンクールは毎年行われている。
出品は有志だが、優勝すれば、国内ではそれなりに話題になる。立派な経歴にもなる。
多くの学生の大いなる目標であり、学生生活の集大成として挑む者も多い、そんなコンクールで、
普通なら出品すらしない、入学して間もない1年生が優勝した。
それはちょっとした事件だった。
学内はもちろん、新聞にもその飾り気のない、あどけなくも整った顔写真が載り、評論家には絶賛され、一時とはいえ、騒がれた。
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