ビューティフル・ワールド
本当にマネージャーがいるんじゃないか、と柳瀬は仕方なく腰を上げ、大久保を手伝いながら思う。
りらはギャラの交渉などは代理人を立てるらしいが、身の周りの雑用は今のところ大久保が一手に引き受けているようだ。
どれだけ信用しているのか、合鍵まで渡している。
不用心だ、と柳瀬が咎めたこともあったが、
あいつに盗みなんか働く度胸があると思うか、と言い返され、黙ってしまった。
まあ、そのお陰で、りらが不在の時でも、ほとんどの確率で大久保がいて、柳瀬も家に入り彼女を待つことができるわけなのだが。
「それ、カバーも取っといて。すぐ取り掛かるから。」
「いいですけど、なんですか、この絵?」
「だから、今度の、白林美術館の。」
「え!」
大久保が目の色を変えて床に立てかけたキャンバスのカバーに飛びつき、慎重に扱えよ! とりらに怒鳴られ、慌ててゆっくりと引き剥がす。
柳瀬も今回に限っては大久保と気持ちは同じだ。その絵が現れるのをじっと待った。
「…?」
大久保が首を傾げた。
特注だろう規格外に大きなキャンバスいっぱい広がっていたのは、
ただひたすらにグレー、りららしく複雑にグラデーションを織りなしていて確かにそれは既に見事なのだが、絵と言うには何も成していないように見える、陰鬱な色合いだった。
「赤が足りなかった。」
りらは誰に言うでもなく独り言のようにぼそりと呟いた。説明する気は特にないらしい。
「…差し入れに、カツサンド買ってきてあるぞ。」
さすがに公開前の絵にこれは何だと聞くのも無粋なので、気になるにはなったが、柳瀬はそう言うことにした。
「気が利くなあ。こういうとこ見習えよ大久保、コーヒー。」
「ああ、はい…」
大久保は大久保で、説明を求めても答えは返ってこないだろうという出逢ってからのこの一年ほどで学んだりらの性格を考慮して、黙って従うことにした。
ソファに身を投げ出し、キャンバスをなかば睨みつけるようにして見ているりらに背を向け、台所に向かう。