ビューティフル・ワールド
「茅野さん、買ってきましたけど全然食べてないじゃないですかあ。」
大久保がメロン味のシロップを買い物袋から取り出しながら情けない声をあげた。
このわがまま娘はストロベリー味だけでは満足できないらしい。
「大久保ぉ…」
りらはスプーンを口から離し、大久保の苦情もどこ吹く風で呼んだ。ぼんやりとした声だった。
「はい?」
「空はいいなあ。」
「はあ。」
りらは空から目を離さない。柳瀬が居ることに気づいてもいないだろう。不器用な大久保が氷を冷凍庫にしまい込むのに苦戦して止む気配の無い騒音にも眉一つ動かさない。
「その筆はどういう経緯でそこにあるんだ?」
柳瀬の声にりらは振り返り、ああ、と頷いた。
「お前は相変わらずいい男だけどこんなに暑いのにそんなシャツを着て大変だなあ。」
余計なお世話だ、と柳瀬は苦笑する。
ジャケットは既に脱ぎ、ネクタイはここに来るまでの間に取ってしまった。りらは筆をとって空に向けてかざした。
「あんまりいい雲があったから忠実に描いてみようと思って筆遣いを考えてたんだ。」
言いながら空の一点を塗るように動かした。
「でもなあ、あんまり良い空でなんかばかばかしくなっちゃってさ…」
筆を置き、ため息のようなものをつく。けだるそうに大久保を振り返った。
「メロン味はまだ?」
「だってそれ食べ終わってないじゃないですか?」
大久保は冷え切っている手を止めた。
「ストロベリーのシロップはいいなあ。」
またりらは返事をしているようでしていない。
「この攻撃的なピンクがいい。前衛的だなあ」
前衛かあ、と自分で自分に相づちを打つ。