ビューティフル・ワールド


とにかく、やめさせるべきだ、と柳瀬は言う。
下手したら、訴訟問題だ。白林美術館だって黙っていない。画家生命に関わる。それ以前に、倫理的に破綻している。手を打つべきだ。

それなのにりらは億劫そうに首を振る。

「いいんだ。」
「いいわけないだろう!!」

柳瀬は思わず怒鳴りつけた。

いいんだよ。
りらはもう一度呟く。

「何を盗まれたんだ?」
「とても人様に見せられるような代物じゃないなあ。」

こんな時なのに、りらはソファに身を沈め、悠長に笑っている。
だったら尚更。
常に圧倒的な完成度で作品を世に出してきたりらにとってそれは、盗まれることより、耐え難いことのはずだ。

柳瀬は深いため息をついた。

「りら…一体、何があった? あの人が盗みなんかやれる奴じゃないっていう意見は俺も賛成だよ。だけど実際、こんなことになって…」

りらはしばらく黙っていた。
大久保がずぶ濡れのまま再び雨の中に去っていったその夜も、いつもと変わらず、よく寝た。
思い悩むことなどなかった。申し訳ないとも思わない。

「…私があいつにやれるものは、何一つ無い。だからあいつは盗んだんだ。そんなもので気が済むなら、くれてやるよ。」
「……」
「柳瀬」

大方の察しがついて言葉を探す柳瀬に、りらが立ったままの柳瀬を見上げた。

「私は、後悔ってしないんだ。したくないんじゃない。できないんだよ。」

絵に描く以外の日常はさらさらとりらの表面を滑りゆき、感情を伴わない。柳瀬は頷いた。

「だけど、私は、"間違えた"んだ。それはわかる。」
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