お帰り、僕のフェアリー
épilogue
春の風が満開の枝垂れ桜を揺らす。

「高遠。ママの好きだった桜だよ。」

僕の言葉を聞いて、高遠は小さな両手を広げて、桜の幹に抱きついた。
きらきらとした瞳で、青空をバックにした桜の天井を見上げる高遠は、親の欲目じゃなく美少年だ。

静稀によく似た可憐な面差しを愛してやまない僕は、かつて、自分の父親が僕に夭折した妻の面影を見いだし溺愛していたことを思い出す。

「パパ、Louis(ルイ)に写真送って!ママの桜と僕と一緒に撮って!」

仲良しのはとこ(本当は、異母兄弟)の少年と、帰国中は、ことあるごとに画像を送り合っている高遠は、僕に撮影と送信をねだった。

僕は目を細めて、かわいい高遠のワガママを聞く。
……かつて、静稀のことが愛しくて愛しくてしかたなくって存分に甘やかした、そっくりそのままの愛情を僕は高遠に注いでいる。

高遠は、僕の天使だ。


この芦屋の家には、今は住んでいない。
今後も住むことはないかもしれない。
もう手放してもいいのだが……ここには美しい思い出が多すぎて、僕にはその決心がつけられない。

父はまだ天下り先で働いているが、たぶん老後はフランスに来る気だろう。
僕らと一緒に住むために。


静稀のご両親には、今回のように、年に数度、高遠を逢わせるために帰国している。
おじいさまも亡くなられ、お父さまとお母さまが2人で仲良くいたわり合って住まっておられる。

「高遠、そろそろ出るよ。舞台に間に合わなくなる。」
いつまでも桜の周囲をぐるぐる回っている高遠を促し、僕ら2人は観劇に赴いた。
……帰国時の歌劇観劇は、僕の幼少時からのお決まりの行事だった。

「ママのお舞台!」
高遠は、自分の名前が、静稀の芸名だったことを知って以来、6才にして歌劇団の熱烈ファンだ。

「花の道」は、今も昔も変わらず、懐かしく、美しい。
こちらの桜はもうほとんど散っているが、色とりどりの春の花が咲き乱れている。

高遠は、この歳の少年にしては珍しく、花が好きだ。
花から花へと飛び回って愛でる姿は、まるで妖精のようにかわいい。

さすが、君の子だね、静稀。
かつて、妖精のように、はかなく美しかった静稀の面影を、僕は懐かしむ。

「お久しぶりです、セルジュさん。高遠くん。」
何年たっても変わらない、凜々しい石井さんが声をかけてくださった。

「こんにちは、石井さん。今日も御世話になります。」
「こんにちは!石井さん。いつもありがとうございます。」

僕の挨拶に続いて、高遠もそう言ってから、石井さんの手を取りその甲に口づけた。

石井さんは目を細めて、高遠の頭を撫でてくださった。
「礼儀正しくて、えらいね。さすが、あなた達のご子息ね。」

褒められて、高遠はニコニコとご満悦だ。
「今日のお席はどこですか?」

「こら!高遠!チケットを取っていただくだけでも大変なことなのに、席にこだわるなんて失礼だよ!」
僕は高遠を叱って、石井さんに謝る。
「すみません、失礼しました。僕らは本当にどこでもけっこうですので……」

石井さんは、笑ってチケットをくださった。
「高遠くんのお気に召すといいけど。」

チケット袋を開くと、2列め上手側サブセンターブロックが2枚。
「こんなにいい席!……すみません、気を遣っていただいて。」

今日は通常公演ではなくて、式典とOGトークショー、そしてOGと現役生徒によるショーがある。
当然、普段の歌劇ファンのみならず、往年のファンも参集する。
チケットはプラチナチケットと呼ばれ、ネットでは高額取引されているほどだ。

「いえいえ。私にできるのはこれぐらいのことですから。高遠くんが喜んでくれるなら。ね?」
石井さんは、毎回、高遠をとても懐かしい目で見て、かわいがってくださる。
……やはり静稀の面影を高遠に見ているのだろう。

「ありがとうございます!楽しませていただきますね!」
高遠が、僕がいつも言うように、そう挨拶するのを、石井さんも僕も目を細めて見た。
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