お帰り、僕のフェアリー
とりあえず、紅茶を入れて、応接間のソファに落ち着き、自己紹介をし合う。

「僕は、松本聖樹です。母がずっとセルジュとフランス名で呼んでいたので、現在も何となく『せいじゅ』ではなく『セルジュ』が通名になってます。彼女は、」

「は~い!私は、竹原由未。私の兄とセルジュが友達ねん。次、高2で、ここに下宿させてもらって通学してるん。」

僕に続いて由未が名乗ったあと、おもむろに彼女が口を開いた。
「私は、小堀静稀と申します。」

こぼり、しずき。

「しずきさん!かわいい名前やねえ!」
彼女は、由未の言葉に、うっすら頬を染めて照れた。

参ったな。
由未のように、あからさまにはしゃげないが、僕は彼女をとても好ましく感じ始めているこを自覚していた。
姿や立ち居振る舞いの美しさもさることながら、彼女の中から発せられる清らかな柔らかい空気が心地いいのだ。

「mademoiselle静稀は、バレリーナなのかな?」
……普段の僕なら、初対面の女性に対しては必ず苗字に「さん」を付けて呼ぶのだが、彼女の美しい名前を呼びたくて、敢えてそう呼んでみた。
僕の小さな勇気は、彼女に用心させることなく結実したらしい。

「マドモワゼルを付けなくてもいいですよ?呼びにくいでしょ?静稀と呼んでください。」
静稀の頬がさらに赤くなったことに気付き、僕も……たぶん紅潮した。

「あの、バレエは、小さい頃から習っていたのですが、今はちょっと違って、、、」
静稀はもじもじと恥ずかしそうに言いよどみ、上目づかいで僕らを交互に見つめて、しばし沈黙の後、やっと口を開いた。
「先月、音楽学校を卒業して、歌劇団に入団しました。」

静稀の独特の間を待てず、ティーカップに口を付けていた由未が、ブホッ!と音をたててむせた。
「どうりで!きれいやと思った!そっか~!男役!やんなあ!?」

涙目の由未を気遣い、静稀が遠慮がちに由未の背中をさする。

静稀の言う歌劇団は、大正時代に温泉地で創設された少女のみで構成される、世界でも珍しい団体だ。
当初から、高等な音楽教育を通じて良妻賢母を育てる目的で設立され、その昔は良家の子女の花嫁学校とも言われていた。


「そうか。初舞台前のジェンヌなんだね。それじゃ、アラゴンも舞台の勉強なのかい?」
由未が落ち着くのを待って、そう尋ねる。
ジェンヌは、歌劇団員の愛称の一つだ。

静稀は、恥ずかしそうに
「はい……いえ・・あの……。私は、まだ役名もない、動く背景みたいなもので……。」
と、俯いた。

「うん?初舞台でしょ?そんなもんじゃないの?」
歌劇団が厳然たる年功序列とスターシステムなのは、僕でも知っている。
由未もまた、うんうん、と大きく何度も頷いて、静稀の話の続きをうながす。

静稀は、少しホッとしたように話し出す。
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