お帰り、僕のフェアリー
翌日も、僕はS席前方だった。

静稀が、恐る恐る僕を見る。
僕は、ひたすら笑顔で見守った。
静稀を追い詰めた上級生に対する、僕なりの闘いだった。

終演後、座席を立とうとした僕は、独りの女性に声をかけられた。
黒いスーツの臈たけたご婦人。
「松本さま。少々お時間よろしいでしょうか?」

「あなたは?」

ご婦人は周囲を慮って、小声で名乗った。
「今月から榊高遠の付き人に就任しました、石井と申します。」

静稀の……。
「わかりました。ご一緒します。」

僕は、石井さんの後ろについて歩きながら、断頭台へ向かう気分だった。
昨日と今日と、僕はやはり来ないほうがよかったんだろうか。
静稀に二度と関わるな、って、釘を刺されるんだろうか。

石井さんは、僕を既に閉店したカフェの奥に案内して席を勧めた。

僕は、座る前に頭を下げて挨拶をする。
「はじめまして。松本聖樹と申します。この度は、静稀のためにありがとうございます。」

石井さんは、きりっとした表情を崩して、柔らかく苦笑した。
「あなたも、榊と同じなんですね。今時の若い子なのに礼儀正しくて、こちらのほうが恐縮しますわ。」

関西のイントネーションに、僕の緊張もほぐれる。
「静稀は、大丈夫ですか?」

石井さんは、曖昧な表情で話し始めた。
「正直、わかりません。メンタルが弱いとは聞いてましたが、ここまで豆腐だとは思ってませんでした。」

「とうふ……」
石井さんは、見た目と「できる人」という前評判に反して、ざっくばらんな人なようだ。

「2月末に歌劇団から榊の付き人の打診を受けてから色々調べさせてもらいましたけど、榊は松本様に依存することで、稽古場でのイジメにかろうじて耐えてきてたんですねえ。」
「『様』はやめてください。どうぞフランクに。」
静稀がお世話になっている、しかも年上のかたなので、一応そう断ってみる。

石井さんは、満足そうにほほえむ。
「わかりました。では、遠慮なく。……榊に対するは嫌がらせは、今公演の抜擢で、看過できないレベルになりました。一昨日の夜には、頬を打たれ、携帯電話を損壊される被害も受けています。また、精神的にもひどく脅されて、セルジュさんとの別れを強制されました。」

頬を打たれた?
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