お帰り、僕のフェアリー
……そうか。

僕は、去年の大晦日を思い出した。
静稀は、嘘がつけないから、厳しいおじいさまやお父様には何も言わないで、優しそうなお母様にだけ告げて、僕のところに飛び込んできたんだっけ。

それと同じ?
静稀は、上級生に「別れた。逢ってない」と嘘がつけないから、僕に逢えない……でも、こっそり、見に来てるのか?

まさか、そんな……。

「それならいっそ、セルジュに観劇をやめてもらえばいい、って、れいは静稀ちゃんに言うたらしいわ。セルジュの存在が虐めのネタになってるなら、ひとつでも潰せばいい、って。」

いや、静稀はそれでも、僕を見たかったんだ。

「恋しとよ 君恋しとよ ゆかしとよ 逢はばや見ばや 見ばや見えばや」

あの日、有馬で静稀の想いがほとばしった梁塵秘抄の歌を思い出す。
すーっと、頬をつたう自分の涙に、僕は驚いた。
静稀、君は……。

「そういうこっちゃ。静稀ちゃんは、せめてお前を見たいんだってよ。自分はストーカーやって、酔っぱらってれいに言うて泣いてたらしいから、実はけっこう頻繁に来てるんちゃうか?」
義人が、ぽんぽんと僕の背中をさするように、優しく軽く叩く。

「ビンゴ。」
いつの間にか、窓辺に移動していた彩乃がつぶやいた。
「窓に影が映らんように、こっち来いよ。」

彩乃の手招きに吸い寄せられるように、僕は大きく迂回して窓の横の壁に張り付く。

「2つ向こうの通りの電柱のとこ。」

そっと見ると、確かに、そこには人が立っていた。
「……遠すぎてわからないよ。」
静稀のようだと思いつつ、遠くの薄暗い街灯では判別できない。

僕の言葉に、義人が苛立つ。
「お前らほんまにめんどくさいわ~。破れ鍋に綴蓋!ほな、おびき寄せるで。来い!」
そう言って、義人はカーテンを閉じて、少し大きな音で音楽をかける。
そして、僕の手を引っ張って、隣室に連れ込んだ。

室内灯を付けずに、真っ暗の部屋の中で、僕らはじっと待つ。
何分ぐらいたったのだろうか。

「ほら、かかった。」
義人の小さな声に、僕も窓から見下ろす。

確かに、静稀が家の前に立っていた。
カーテンの隙間から光の漏れる窓を、じっと見つめる静稀。
泣いている。
綺麗だけれど、やつれた頬が痛々しい。
僕は久しぶりに見た素顔の静稀に見とれた。

「どうする?これでも、静稀ちゃんをほって行けるのか?」
義人の問いに答えられず、僕はふらふらと暗闇の部屋を出る。

そっと暗いバルコニーに出ると、冷たい風が酔って熱い僕の頬に心地いい。

静稀は、寒くないのか。
皮下脂肪の極端に少ない、しなやかな体が生々しく僕に蘇える。

静稀。
君はいつから、こうして来ていたんだ?
ずっと長い月日を、僕らは無駄に独りで耐え忍んできたのか?
いつまで、そうして独りで泣くんだい?
僕は、ここにいるのに。
僕たちはしばらく、そうして寒風にさらされてたたずんでいた。
奇妙な時間だった。
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