お帰り、僕のフェアリー
つまり、入団して7年めまでの生徒は、本公演をこなしながら、終演後に新人公演のお稽古もしなければいけないのだ。

「ほな、なかなか来れへんの?」
由未が残念そうに静稀に尋ねる。

「水曜日はお稽古がお休みなんです。自主稽古を早めに切り上げて、また、お邪魔してもいいですか?」
由未に微笑みかけながら、僕に向かってそういう静稀。

「もちろん歓迎するけど、大丈夫?由未のワガママに付き合わなくてもいいんだよ?」
……しかし、電車を乗り継いでここまで来させるのは、かわいそうだな。

「それじゃ、これを使って来てくれる?お稽古場からすぐに乗車してね。」
僕は、愛用のタクシーチケットを1冊、静稀に渡した。

我が家にも車はあるし、僕自身も運転免許は持っている。
が、父や伯父が運転することを望まないので、僕は免許取得以来公道を走行したことがない。
バイクはもちろん、自転車にすら乗らない。
身軽な時は徒歩と公共交通機関を使うし、今日の図書館の本のように持つものがある時はタクシーを利用する。

「え?けっこう距離ありますよね?電車で来ますよ?私。」

「ダメだよ。本来なら僕が車で送迎すべきなのに、ごめんね、家訓で運転できないんだ。だから、せめて使ってほしい。」
そう言いながら、タクシーチケットをしっかりと静稀に握らせる。
僕の両手で静稀の両手を包み込み、静稀の瞳を覗きこみ、にっこりと微笑みかける。

静稀もまた、僕の目を見て、みるみるうちに真っ赤になった。
「ありがとうございますっ!」

頭から声を出す静稀が可愛くて可愛くて、僕はしばらく静稀の手を放したくなくなった。
戸惑いつつも、振りほどく気はないらしい静稀。

このまま静稀に口づけようかな、とも思ったが……
静稀があどけないというか、ぽ~っとしてるのと、由未が目をキラキラさせて食い入るように見てることに気づいて、僕は自制することにした。

静稀の両手からそっと手をずらし、静希の手の甲に軽く唇を寄せて、手放した。

目の端に、由未が盛大なため息を残念そうについているのが映る。

そして、静稀もまた、ちょっと変な表情になる。

自惚れじゃなくて、僕は口づけしても嫌じゃない程度に好意を抱いてもらっているようだ。

僕は、静稀の耳元で囁いた。
「これ以上触れてると、静希を帰したくなくなってしまう。また、ね。」
返し刀で、そっと静稀の耳に口づける……由未に見えないように。

静稀は、口と目を開けたまま硬直していた。
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