幸せは、きっとすぐ傍
「俺、我慢しないでって言ったもんな。香澄が気負うことはないよ。でも、俺の仕事忘れないでいてくれるといいかな」
「ごめんなさい……っ」
「謝るなよ、香澄が悪いなんて言ってないでしょ」
でも、と反応して顔を上げた私の左肩に、大地がこてんと頭を乗っけてきた。身体の左側に一斉に意識が集まって赤くなってしまう私は逃げ切れていない。
だって逃げたくて逃げたわけではないから、逃げ切れていないのも当たり前なのだけれど────
「だいち、っ」
本当に逃げたかったわけではないのだ。こうして追いかけて欲しかったのだ。
本当に逃げたいのなら電話番号もメルアドも変えて、引越しだってしたかもしれない。けれどそれをしなかったのは香澄が本心から逃げたいと思っていないから。本当はまだ彼が好きだと、心のどこかで思っていたから。
好きなの。ぽつりと呟けば隣でくすり、笑う吐息が吐き出される。好きなの、やっぱり好きなの。繰り返せば大地に名前を紡がれて、少しくすぐったくなりながらも香澄は「大地、」と呼び返した。
「────また、付き合ってくれる?」
「俺、別れた覚えはないよ」
「……っ」
アナウンスが入る。電車が減速を始める。左側に温かさを感じる。
幸せだな、とふと思った。
こうして大地といられることが、他愛もないことで喧嘩して一方的に逃げてでも追い掛けてくれて仲直り出来たことが、左側に感じる温かさが。
幸せだ。酷く、幸せ。
「なあ、香澄」
「なーに、大地」
「何があっても、何かあっても、何があるか分からないけど、それでも」
────ずっと、俺の傍にいて。じゃないと俺、仕事行けない。
頬に微かに吐息が掛かる。左肩に幸せを感じながら、香澄は大地にうん、と紡いで、我慢しきれなくなった涙を一つ零した。