ヒロインになれない!
「恭(きょう)兄さまは、こんなに暑いのに、なんでたき火してたんですか?」
庭のたき火が燃え尽きそうになっていることに気づいて、私はそう聞いた。

恭兄さまは、今、書いていた半紙に、しゃっと斜めに筆を走らせながら
「半紙を燃やしたんだよ。お稽古した半紙は全て、こうして、燃やすんだ。」
と、事もなげに言った。

せっかく綺麗な字なのにもったいないなあ……と、私は斜線を入れられた半紙を見ていた。

3つ上の兄・義人が、冬休みの宿題で書いている歪んだ文字とは全然違う。
大人のような、いや、大人より美しい文字を、恭兄さまは魔法のようにさらさらと書いては、斜線を引いていた。

「由未ちゃんも、書いてみる?」

私は、驚いた。
私の通う公立小学校では、3年生からお習字の授業が始まるので、2年生の私はまだ筆を触ったこともなかった。

「やったことない……です。」

正直にそう言ったが、恭兄さまは、ニコニコして私を手招きした。
「じゃ、ちょうどいいね。僕が教えてあげるよ。おいで。」

かなり怯えて、後ずさりする私に、恭兄さまは
「『おいとぽい』、あげるよ。」
と、餌で釣った。

私は、あの心地いい甘みを思い出し、生唾を飲み込んで恭兄さまのそばにいく。

文机の正面で正座させられ、背後から恭兄さまが私の右手に筆を持たせて添え書きしてくれた。
はじめての感覚だった。
たっぷり墨を吸った筆が半紙を滑る感触は、鉛筆やマジック、クレヨンとは全然違った。

「気持ちいい……」

するする書けるのが楽しくて、私はついそう言ってしまった。

恭兄さまは相好を崩した。
「わかる?うれしいな。僕もそう思うんだけどね、なかなか他の人には理解してもらえないんだ。そう。由未ちゃんにはこの気持ちよさがわかるんだね。」

恭兄さまは、ニコニコして、私の口にまた「おいとぽい」を入れてくれた。

ふううう~~~ん。
幸せな甘みに、鼻をならして、目を閉じる。

私が、和三盆の残り香にうっとりしている間に、恭兄さまはするすると硯で墨を摺った。

「……めんどくさくないん?……ですか?」
兄の義人がめんどくさがって、墨を摺らずに墨汁を使って、ずるっこしてるのを見てるのでそう聞いてみる。

「めんどくさいと言えばめんどくさい、のかな?でも、こういうもんだから。慣れれば全然。」
そう言いながら、墨を摺る恭兄さまは、確かに何の苦もなさそうで、それどころか、軽やかで楽しそうにさえ見えた。

「……私も、やってみていい?……ですか?」
「うん。じゃ、筆をここに置いて、墨の持ち方はこう、ね。」
私は見よう見まねで墨を摺ってみる。
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