ヒロインになれない!
そして、和也先輩にとって最後のサッカー選手権。
和也先輩だけでなく、指定校推薦などで進路を決めた3年生がみんな残ったせいか、今年の選手権予選は強かった!
シードだったせいか組み合わせもラッキーで、まさかの優勝!
年末、年始のお茶の間で試合を流してもらえる、あの選手権大会に出場できるのだ。
全校を挙げての祭り状態になり、急遽、保護者や地域企業から寄付を募り、備品が整えられたり応援ツアーが組まれる。
本来、進学校の我が校では3年生は受験勉強に専念すべき時期なのだが、クラスメートが出場するとなればそうも言ってられないムードらしい。
……今年の進学率は少し下がるかもしれない……まことしやかにそう囁かれた。
全国高等学校サッカー選手権大会は、12月30日に国立競技場で開会式を迎えた。
スタンドから入場行進を見ているだけで、私は泣けて泣けてしょうがなかった。
和也先輩の、高校最後の晴れ姿。
私は双眼鏡をロックオンで、涙と息で曇るレンズを何度も拭きながら見つめた。
12月31日の大晦日に、千葉市内の会場で1回戦を戦った。
和也先輩がハットトリックを決め、ニュースや新聞で取り上げられる大活躍をした。
元日は、宿から心づくしの簡単なおせち料理やお雑煮をいただいた後、翌日の2回戦の会場である市川市の競技場で練習をした。
……宗教上の理由で神社に行けない部員がいたため、みんなで初詣、というわけにはいかなかった。
1月2日、強豪校相手に善戦したが、結局PKで負けた。
もちろん泣いたが、何だか清々しい涙だった。
みんな、よくここまでがんばったよね。
和也先輩、本当にかっこよかった。
2年半前、先輩に蹴られたり殴られたりしていた人が、今や記者からフラッシュを浴びて取材を受けているなんて。
いろんな意味で感無量で、涙が止まらなかった。
夜。
宿でのミーティングで、和也先輩達3年生が、正式に引退の挨拶をした。
……この場で私も転校を報告すべきだったのかもしれない。
が、やはり後ろめたくて、何も言えなかった。
翌日は夕方まで自由行動となった。
あおいちゃんは、子供が待ってる、と、一人でさっさと早い新幹線で帰ってしまったけど。
私は、ちょうどいいので、ふらりと恭兄さまのお宅を訪ねてみた。
新宿から小田急小田原線急行で5分。
……めっちゃ便利。
駅を出て、北へ。
むおっ!坂か!
セルジュん家(ち)とは比較にならないぐらい緩やかだが、坂を5分ほど上がったところに、「天花寺(てんげいじ)」の表札を掲げた純日本家屋があった。
和也先輩だけでなく、指定校推薦などで進路を決めた3年生がみんな残ったせいか、今年の選手権予選は強かった!
シードだったせいか組み合わせもラッキーで、まさかの優勝!
年末、年始のお茶の間で試合を流してもらえる、あの選手権大会に出場できるのだ。
全校を挙げての祭り状態になり、急遽、保護者や地域企業から寄付を募り、備品が整えられたり応援ツアーが組まれる。
本来、進学校の我が校では3年生は受験勉強に専念すべき時期なのだが、クラスメートが出場するとなればそうも言ってられないムードらしい。
……今年の進学率は少し下がるかもしれない……まことしやかにそう囁かれた。
全国高等学校サッカー選手権大会は、12月30日に国立競技場で開会式を迎えた。
スタンドから入場行進を見ているだけで、私は泣けて泣けてしょうがなかった。
和也先輩の、高校最後の晴れ姿。
私は双眼鏡をロックオンで、涙と息で曇るレンズを何度も拭きながら見つめた。
12月31日の大晦日に、千葉市内の会場で1回戦を戦った。
和也先輩がハットトリックを決め、ニュースや新聞で取り上げられる大活躍をした。
元日は、宿から心づくしの簡単なおせち料理やお雑煮をいただいた後、翌日の2回戦の会場である市川市の競技場で練習をした。
……宗教上の理由で神社に行けない部員がいたため、みんなで初詣、というわけにはいかなかった。
1月2日、強豪校相手に善戦したが、結局PKで負けた。
もちろん泣いたが、何だか清々しい涙だった。
みんな、よくここまでがんばったよね。
和也先輩、本当にかっこよかった。
2年半前、先輩に蹴られたり殴られたりしていた人が、今や記者からフラッシュを浴びて取材を受けているなんて。
いろんな意味で感無量で、涙が止まらなかった。
夜。
宿でのミーティングで、和也先輩達3年生が、正式に引退の挨拶をした。
……この場で私も転校を報告すべきだったのかもしれない。
が、やはり後ろめたくて、何も言えなかった。
翌日は夕方まで自由行動となった。
あおいちゃんは、子供が待ってる、と、一人でさっさと早い新幹線で帰ってしまったけど。
私は、ちょうどいいので、ふらりと恭兄さまのお宅を訪ねてみた。
新宿から小田急小田原線急行で5分。
……めっちゃ便利。
駅を出て、北へ。
むおっ!坂か!
セルジュん家(ち)とは比較にならないぐらい緩やかだが、坂を5分ほど上がったところに、「天花寺(てんげいじ)」の表札を掲げた純日本家屋があった。