Poisony Poison Girl
第1章 一日目
 二階の窓から、朝の光が見える。
 コンクリート打ちっぱなしの部屋は、シンプルな調度類で生活感がまるでない殺伐とした雰囲気だった。広すぎることと、ところどころにあるボタンや操作盤の存在感も相まって、女子高生のひとり暮らしの部屋と紹介されてもいや違うだろと誰もが否定するような部屋だろう。勉強机や学生かばんもない。
 小さな机と大きなベッド、クローゼット、床に平積みの大量の本。それが彼女の生活空間だった。
「毒素さん、髪延びましたね」
「お兄さんも延びて来たよね、前髪」
「勘弁してください…」
 そういって僕は、部屋の中央にある椅子に座っている少女、毒素さんの髪をブラシで梳く。綺麗な髪。潤っていて、艶めきがある。長いのに絡まらず、柔らかくブラシの隙間を毀れさせる髪は、女性の誰もが羨むだろう。うん、僕もこんな髪の女性には危うく惚れてしまう。それから、染めてもいないのに紫色な所とか、素敵です。
「前髪、私に切って欲しいから伸ばしてるんじゃないの?」
「いえ、放置してるだけですよ別に」
「私に斬って欲しいから伸ばしてるんじゃないの?」
 人斬り…。文字にしないと分からないようなギャグだな。あれ、マズい。怒ってる。何故。
「僕ごときの前髪を毒素さんに切らせる訳にはいきませんよ」
「やっぱり私の始めましてパフォーマンスのこと根に持ってたりするの?」
「そりゃあ、初対面時にいきなり鋏持って前髪切られたら」
 美少女だったし悪気は無さそうだったから許したけど。因みにあの時、額も少し切られた。痛かったです、泣くの顔文字。
「私あれから自分の前髪で練習したのよ?」
「………」
 ここで毒素さんのヘアーを見てみよう。前髪と後ろ髪の毛先がぴったり揃っているが、それはきっと前髪の延び方が竹林並みに早いのだろう。きっと一日に十六センチは延びるのだろう。そうに違いないそうと信じたい。
「とりあえず僕の前髪事情は気にしないで頂いて結構です。どうせなら後ろ髪も気にしてください。あの後、前髪のカットはすばらしいのに後ろ髪が長くて同期に笑われたんですよ」
「じゃあさっさと美容院行って来なよね」
「はいはい了解です委細承知に承りました」
 理容院じゃない辺りは乙女だと思う。
 腰辺りまである毒素さんの髪を結い上げるという一大任務を遂行させ、三分後に成功を収める。ポニーテイルは馬のお尻みたいで嫌だと毒素さんが言うから、シニヨン。お団子結びになった。毒素さんお気に入りのフリフリな服にもぴったりだ。馬の尻尾を丸めるだけの髪形でポニーテイルの進化系なのだがそれは敢えて言わないでおこう。紫の馬なんて夢と絵本にしか出てこない。
「うん、満足。八十点だねっ」
 語尾にオクターブが飛んだ八分音符が付属しそうな黄色い声で毒素さんは言った。そんなにテンションが高くて八十点ですか。百点の反応が見たいと思った。精進せねば。
「やるじゃん執事」
「お褒めに預かり光栄で御座いますお嬢様」
 …いや、執事じゃないんだけどね。それらしい事はやってるけど。誤解を招きそうなので先に言っておくと、僕は研究員で毒素さんは被験者である。

毒素さんと僕と愉快な仲間達は、全日本統合学術研究会の末端施設、毒物研究所、通称毒ラボと呼ばれる所に存在する。全日本統合学術研究会、通称全学研とは、まあ日本中の学問――科学、医学、文学、心理学等々――の研究者が集まって日々各々の研究に取り組む巨大組織である。要するに研究の亡者達がやりたいようにやって結果を残すという滅茶苦茶な組織だ。毒ラボはそこに属する研究施設で、名前の通り毒物に関する研究を行っている。
 そして僕もその研究の亡者の一員。ジンと名乗らせていただこう。21歳になる。ジンとは毒ラボ内でのニックネームで、毒素さん以外は僕のことをこう呼ぶ(毒素さんは僕をお兄さんと呼ぶ)。先ほど執事と称していたが、実際、僕の仕事は毒ラボに住み込みで毒素さんの世話をすることだ。勿の論で毒物の研究もしてますよ。
 毒素さんは僕のお嬢様――ではなく、この施設内での被験者に当たる。ポイズンガールプロジェクト、通称PGPという実験観察の被験体だ。因みに試験管ベイビー。だから、日々の観察記録を付ける為に僕のような研究員が傍にいる。毒素さんの身体は何もかも、爪の先から毛髪一本に至るまで、毒素を含んで構成されているのだ。

「あれっ、午前八時回ってる。体温測りましょう毒素さん」
 時計はいつだって予想外な気まぐれ屋なんだというのは180度見当違いな言い訳に過ぎない。特に電波時計に対しては侮蔑に値するだろう。
 ガラスケースにコンパクトに収まった体温計を渡す。これは全学研の先輩が研究の成果として世に残したもののひとつだ。一万二千円也。ガラスケースを開ける。開けゴマと言うまでもなく開いた。これは脇に挟むタイプではないため、毒素さんは自身の耳の後ろにそれを当てた。小声な美声で僕への悪口が発せられた気がした。気のせいだろう。僕はのろまなんかじゃないさ、ははは。
「ぴぴぴっ三十六度」
「自分で言っちゃうんですね」
 体温計の鳴き声と毒素さんの見事なコーラスを鑑賞しながら、毒素さんが今日も平熱であることを確認する。それを黒のボールポイントペンで小さめのメモ帳に記録した。こちらは全学研の先輩方が汗と涙を滲ませ必死で作り上げた最高質の紙で出来たメモ帳と試行錯誤を重ねてようやく完成形となった世界一のペンではなく百均の文房具売り場で購入したものだ。ふたつで二百円也(税抜)。
「…本日も高性能なことで」
 無機質な塊へのほめ言葉と共に、先ほど毒素さんの体温を感じた人肌専用小型温度測定機を元あったケースにインしてクローズして収納する。
 僕が閉じろゴマしている様子を笑顔で眺める毒素さんという生命体は十八歳の割には子供っぽい顔立ちで、喋り方も時折幼さが感じられる。但しそれを本人に言ったりなどしたら半日ずっと怒られる。相当なコンプレックスのようだ。敬語で接しているのも大人扱いのつもりである。
「お兄さん、もう半年は執事なんだから私の基本生活日程くらい覚えてよ」
「執事じゃないです。それとすみませんでした悪気はないです」
「なん…だと…」
 その台詞は何の影響だ。
「ていうか毒素さんだって忘れてたじゃないですか」
「毒素さんに毒を吐くとはいい度胸だよねぇ」
「真実ですから」
「確かに真実が一番毒々しいよね」
「毒女が」
「少し黙れ」
 あう。命令形キタコレ。少し黙る。
 しかし真実が一番毒々しいなんて言い得て奇妙だ。実際、この毒々々しい少女をリアルに作り上げちゃう時点で何かしら思うことぐらいあるだろうに。全学研の科学者の連中とやらは脳味噌にまで毒が回ってるんじゃないか。あれ、遠まわしに自嘲してないかこれ。いかんいかん。
 何はともあれ「よね」が口癖の猛毒少女さん(本人いわくニックネームがヨネスケ)と呑気な日常をエンジョイしているならグッジョブだ。いや、仕事だし本当にグッドジョブだな。うーん、言い得て絶妙。我ながら座布団一枚。
「今日は用事とかないから、夕方まで本が読めるんだよね」
 と、毒素さんが可愛い笑顔で言う。僕は、そうですね、と笑顔(の体を成していたら幸いだ)で返事した。
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