君に贈るエピローグ
プラネタリウム2
俺達は何本か電車を乗り継ぎ、浅草へ向かった。浅草に到着した頃には、午後の二時を過ぎていた。
「お腹空いたね」
「うん。俺、いい店を知ってるから、そこにでも行こうか?」
駅から大通りをしばらく歩き、人でごった返した通りを曲がって一本路地を入ると、静かな住宅地になった。
『甘味処 やま本』
と書かれた暖簾をくぐると、中は予想以上に混んでいた。
「ここ、甘味処だけど、もんじゃが美味いんだ」
「私、もんじゃ食べたい!」
「ここのは、マジで美味いぞ」
「本当に?」
二十分ほど待つと、たまたまふたり掛けの席が空き、俺達はそこに通された。壁には短冊に書かれたメニューがぎっしりと貼られ、壁は茶色く煤けていた。
「何にする?」
「うーんとね、まずはチーズもんじゃでしょ。それと豚玉もんじゃ!」
凛子が壁の短冊を勢い良く指差した。
「それだけ?」
「じゃあ、あとは明彦が決めてよ」
「そうだな…豆腐焼きも美味いよ」
「じゃあそれがいい!」
店の奥から、八十くらいの腰の曲がった老女が出たきた。
「ご注文はお決まり?」
「はい。チーズもんじゃと豚玉もんじゃ、それと豆腐焼きをください」
「あっ、あと食後に白玉クリームあんみつもいいですか!明彦は?」
「良く食うよな、その身体で。じゃあそれと、ところてんをひとつ、黒蜜で」
老女は注文をひとつひとつ繰り返した。
「ところてんを黒蜜で食べるの?」
「そう思うだろ、これが結構、美味いんだ。関西では、黒蜜で食べるのが当たり前なんだってさ。親父が言ってた」
「へえ、そんな話、初めて聞いた。ここ、いいお店ね。こんなところ、良く知ってたわね」
「昔、家族で浅草にくる度に、しょっちゅうきてたんだ」
しばらくすると、老女がもんじゃを運んできた。
「さてと、じゃあ作るとするか!」
「作ってくれるの?」
「慣れてらから任せとけ!凛子がやったら、ぐちゃぐちゃにしそうだからな」
「明彦ったら、ひどい!」
具をコテで炒め土手を作り、その中にもんじゃのたねを流し入れる。
「なっ、俺、上手いだろ?」
「私もやりたい!」
「じゃあ、豚玉は凛子の担当な。ぐちゃぐちゃにしたら、怒るぞ」
「ちゃんとできるわよ」
凛子は張り切って腕まくりをすると、俺が作ったのを真似て、土手を作りたねを流し入れた。予想通り、たねが土手から流れ出し失敗した。
「あーぁ、やっぱり失敗した。だから言っただろ」
「どうせぐちゃぐちゃにして食べるんだから一緒よ」
俺達は出来たての熱々のもんじゃ焼きを、口いっぱいに頬張った。
「熱いっ、でも美味しい!」
「だろ!もんじゃってさ、簡単そうに思うけど、店によって、全然、味が違うんだぞ」
「うち、転勤族だったでしょう。東京の木場に住んでいた頃、一度、近所のお兄さんに連れられて、月島に行ったことがあったな…」
「月島ってさ、もんじゃ屋だらけで何処に入ったらいいのか分からないよな」
「そうそう、もんじゃ屋さんばっかりだったわ」
俺達はデザートまで食べ終わると、さすがに腹がいっぱいだった。手早く会計を済ませ店を出た。
仲見世通りは思っていた通り、人でごった返していた。途中、両脇に並ぶ土産物屋を覗きながら、浅草寺までゆっくりと進んだ。
「ねぇ、そういえば、天文部のほうはどうなったの?」
「あれ?まだ言ってなかったか」
「うん」
「純也がどうしてもって言うもんだから、入ることにしたよ」
「そう、やっと決めたのね。中原君も喜んでいたでしょう」
「ああ。それよりさ、矢沢さん、あれからどうしてる?輝のやつ、相当、参ってるぞ。話し掛けても全然、口を聞いてくれないから、どうしていいか分からないって、愚痴ってたよ」
「そう、優衣は頑固だからな…当分、口を聞かないつもりなんじやない。あのふたりって、一年の時からずっと付き合ってるでしょ、優衣は倦怠期かもなんて言ってた」
「倦怠期か、女って良く分からないよな。ちょっと他の女の子と口を聞いたくらいで怒るなんて、異常だよ。そういうのって、面倒くさいと思わないか?」
「女の子って、そういうものなのよ」
「じゃあ、凛子も好きな男が出来たらそうなるのか?」
「私は、もしそうなったら、ちゃんと話をして解決したいと思うわ」
「そうか、良かった」
「良かったって、何で?」
「いや、別に…」
「“喧嘩するほど仲がいい”って、言うじゃない。うちのクラスでは、あのふたりが一番最初に結婚するんだろうな」
「凛子は結婚願望あるのか?」
「良く分からない…うち、親が離婚しているし、一生を掛けて愛せる人が、この先現れるのかどうかも分からないでしょう?」
「愛か…愛って、一体、何なんだろうな」
三十分ほど掛かってやっと社殿の前までくると、俺達は財布から小銭を取り出し、賽銭箱へと高く投げ入れた。
「私ちょっと、お手洗いに行ってくるから、あそこのおみくじの屋台の前で待ってて」
「迷子になるなよ」
「子供じゃないんだから、大丈夫よ」
そう言って、凛子は社殿のほうへと引き返した。
数分が経ち、
「ごめん!お待たせ」
と、息を切られて戻ってきた。凛子の子供のようなひたむきさがいつも俺を安心させた。
帰りも人混みをかき分けながら、行きとは逆の方向へ歩いた。あまりの人の多さに、俺は思わず凛子の左手を掴んでいた。彼女は一瞬、戸惑ったような顔をしたが、何も言わなかった。
帰りの電車は、行きと比べてかなり空いていた。車中、ふたり並んで座り、今日一日のことをふざけながら話した。
「俺、凛子があんな大食いだとは思わなかったよ」
「悪かったわね。どうせ私は、大食いです!」
「あんなに食うのに良く太らないな」
「脱いだら凄いかもよ?」
笑い声が車中に響いた。笑い疲れた俺達は、いつの間にか深い眠りに堕ちていた。
「ねぇ、明彦、起きて。もう次、学園前よ!」
気が付くと、凛子が俺の肩を揺さぶっていた。俺は目をこすると、大きくひとつ伸びをした。
「いつの間にか、眠っちゃったみたいね」
「うん…まだ寝足りない」
俺達は学園前で電車を降りた。ここから俺はバス、凛子はもう一本、電車を乗り継がなければならなかった。
「そうだ、これ」
凛子はバッグの中から、ふたつの小さな袋を取り出した。
「遅くなってごめんね。これ、前に借りていたハンカチと、大したものじゃないけど、お礼…」
「何だよ、わざわざ」
「さっきね、浅草寺で買ったの。心身健康のお守り、鞄にでも付けて」
「トイレにいくふりをして、買いにいったのか。有難う、凛子」
別れるのが名残惜しかったがバスを待つ間、俺は彼女を改札まで見送った。
「今日は朝から楽しかったよ。またふたりで、何処か行こうな」
「私も凄く楽しかった。今度は何処へ行くか、また考えておくわ」
「じゃあ、明日もいつもの場所で!」
「うん、じゃあね、また明日!」
ちょうど電車がきて凛子は掛け乗ると、ドアの所で小さく手を振った。
「お腹空いたね」
「うん。俺、いい店を知ってるから、そこにでも行こうか?」
駅から大通りをしばらく歩き、人でごった返した通りを曲がって一本路地を入ると、静かな住宅地になった。
『甘味処 やま本』
と書かれた暖簾をくぐると、中は予想以上に混んでいた。
「ここ、甘味処だけど、もんじゃが美味いんだ」
「私、もんじゃ食べたい!」
「ここのは、マジで美味いぞ」
「本当に?」
二十分ほど待つと、たまたまふたり掛けの席が空き、俺達はそこに通された。壁には短冊に書かれたメニューがぎっしりと貼られ、壁は茶色く煤けていた。
「何にする?」
「うーんとね、まずはチーズもんじゃでしょ。それと豚玉もんじゃ!」
凛子が壁の短冊を勢い良く指差した。
「それだけ?」
「じゃあ、あとは明彦が決めてよ」
「そうだな…豆腐焼きも美味いよ」
「じゃあそれがいい!」
店の奥から、八十くらいの腰の曲がった老女が出たきた。
「ご注文はお決まり?」
「はい。チーズもんじゃと豚玉もんじゃ、それと豆腐焼きをください」
「あっ、あと食後に白玉クリームあんみつもいいですか!明彦は?」
「良く食うよな、その身体で。じゃあそれと、ところてんをひとつ、黒蜜で」
老女は注文をひとつひとつ繰り返した。
「ところてんを黒蜜で食べるの?」
「そう思うだろ、これが結構、美味いんだ。関西では、黒蜜で食べるのが当たり前なんだってさ。親父が言ってた」
「へえ、そんな話、初めて聞いた。ここ、いいお店ね。こんなところ、良く知ってたわね」
「昔、家族で浅草にくる度に、しょっちゅうきてたんだ」
しばらくすると、老女がもんじゃを運んできた。
「さてと、じゃあ作るとするか!」
「作ってくれるの?」
「慣れてらから任せとけ!凛子がやったら、ぐちゃぐちゃにしそうだからな」
「明彦ったら、ひどい!」
具をコテで炒め土手を作り、その中にもんじゃのたねを流し入れる。
「なっ、俺、上手いだろ?」
「私もやりたい!」
「じゃあ、豚玉は凛子の担当な。ぐちゃぐちゃにしたら、怒るぞ」
「ちゃんとできるわよ」
凛子は張り切って腕まくりをすると、俺が作ったのを真似て、土手を作りたねを流し入れた。予想通り、たねが土手から流れ出し失敗した。
「あーぁ、やっぱり失敗した。だから言っただろ」
「どうせぐちゃぐちゃにして食べるんだから一緒よ」
俺達は出来たての熱々のもんじゃ焼きを、口いっぱいに頬張った。
「熱いっ、でも美味しい!」
「だろ!もんじゃってさ、簡単そうに思うけど、店によって、全然、味が違うんだぞ」
「うち、転勤族だったでしょう。東京の木場に住んでいた頃、一度、近所のお兄さんに連れられて、月島に行ったことがあったな…」
「月島ってさ、もんじゃ屋だらけで何処に入ったらいいのか分からないよな」
「そうそう、もんじゃ屋さんばっかりだったわ」
俺達はデザートまで食べ終わると、さすがに腹がいっぱいだった。手早く会計を済ませ店を出た。
仲見世通りは思っていた通り、人でごった返していた。途中、両脇に並ぶ土産物屋を覗きながら、浅草寺までゆっくりと進んだ。
「ねぇ、そういえば、天文部のほうはどうなったの?」
「あれ?まだ言ってなかったか」
「うん」
「純也がどうしてもって言うもんだから、入ることにしたよ」
「そう、やっと決めたのね。中原君も喜んでいたでしょう」
「ああ。それよりさ、矢沢さん、あれからどうしてる?輝のやつ、相当、参ってるぞ。話し掛けても全然、口を聞いてくれないから、どうしていいか分からないって、愚痴ってたよ」
「そう、優衣は頑固だからな…当分、口を聞かないつもりなんじやない。あのふたりって、一年の時からずっと付き合ってるでしょ、優衣は倦怠期かもなんて言ってた」
「倦怠期か、女って良く分からないよな。ちょっと他の女の子と口を聞いたくらいで怒るなんて、異常だよ。そういうのって、面倒くさいと思わないか?」
「女の子って、そういうものなのよ」
「じゃあ、凛子も好きな男が出来たらそうなるのか?」
「私は、もしそうなったら、ちゃんと話をして解決したいと思うわ」
「そうか、良かった」
「良かったって、何で?」
「いや、別に…」
「“喧嘩するほど仲がいい”って、言うじゃない。うちのクラスでは、あのふたりが一番最初に結婚するんだろうな」
「凛子は結婚願望あるのか?」
「良く分からない…うち、親が離婚しているし、一生を掛けて愛せる人が、この先現れるのかどうかも分からないでしょう?」
「愛か…愛って、一体、何なんだろうな」
三十分ほど掛かってやっと社殿の前までくると、俺達は財布から小銭を取り出し、賽銭箱へと高く投げ入れた。
「私ちょっと、お手洗いに行ってくるから、あそこのおみくじの屋台の前で待ってて」
「迷子になるなよ」
「子供じゃないんだから、大丈夫よ」
そう言って、凛子は社殿のほうへと引き返した。
数分が経ち、
「ごめん!お待たせ」
と、息を切られて戻ってきた。凛子の子供のようなひたむきさがいつも俺を安心させた。
帰りも人混みをかき分けながら、行きとは逆の方向へ歩いた。あまりの人の多さに、俺は思わず凛子の左手を掴んでいた。彼女は一瞬、戸惑ったような顔をしたが、何も言わなかった。
帰りの電車は、行きと比べてかなり空いていた。車中、ふたり並んで座り、今日一日のことをふざけながら話した。
「俺、凛子があんな大食いだとは思わなかったよ」
「悪かったわね。どうせ私は、大食いです!」
「あんなに食うのに良く太らないな」
「脱いだら凄いかもよ?」
笑い声が車中に響いた。笑い疲れた俺達は、いつの間にか深い眠りに堕ちていた。
「ねぇ、明彦、起きて。もう次、学園前よ!」
気が付くと、凛子が俺の肩を揺さぶっていた。俺は目をこすると、大きくひとつ伸びをした。
「いつの間にか、眠っちゃったみたいね」
「うん…まだ寝足りない」
俺達は学園前で電車を降りた。ここから俺はバス、凛子はもう一本、電車を乗り継がなければならなかった。
「そうだ、これ」
凛子はバッグの中から、ふたつの小さな袋を取り出した。
「遅くなってごめんね。これ、前に借りていたハンカチと、大したものじゃないけど、お礼…」
「何だよ、わざわざ」
「さっきね、浅草寺で買ったの。心身健康のお守り、鞄にでも付けて」
「トイレにいくふりをして、買いにいったのか。有難う、凛子」
別れるのが名残惜しかったがバスを待つ間、俺は彼女を改札まで見送った。
「今日は朝から楽しかったよ。またふたりで、何処か行こうな」
「私も凄く楽しかった。今度は何処へ行くか、また考えておくわ」
「じゃあ、明日もいつもの場所で!」
「うん、じゃあね、また明日!」
ちょうど電車がきて凛子は掛け乗ると、ドアの所で小さく手を振った。