君に贈るエピローグ
再会
翌日の月曜日は久しぶりの雨だった。
私はお気に入りの空色の傘をさしながら、土手の上を歩いていた。ぬかるんだ土手を歩いていると、今朝出がけに磨いたばかりの革靴が直ぐ泥だらけになった。
母には今朝、来週の日曜日に父と会うことを報告した。
母は、
「日曜日は、パパにうんとご馳走して貰いなさい」
と言うと、それきり何も言わなかった。
私は歩きながら、昨夜の父との電話での会話を思い出していたのだった。
昨夜、六年振りに私の声を聞いた父は、電話の向こうで泣いていた。私や俊太郎の事を案じ、自分は身勝手な父親だったと詫びていた。父は私達家族を捨て家を出て行ったが、私は父を恨んだりしたことなど一度たりともなかったというのに。
父は高校三年生になった私を見て、何と言うのだろう?
私は一体、父と何を話すのだろう?
父と私は六年という歳月を、果たして埋める事ができるのだろうか?
様々な思いが胸に渦巻いた。
三年生の校舎に着くと私は傘の雨滴を払い、丸めて傘立てに立て掛けた。上履きに履き替えると、革靴に付いた泥をティッシュペーパーで丁寧に拭き取り下駄箱に入れた。
二階まで階段を駆け上がり教室に入ると、今朝は明彦はまだきてはいなかった。
私は自分の机に鞄を置き、教室の前の壁に貼ってある世界地図の前まで行った。日本からイギリスまでの距離を指でなぞってみる。
その時、教室の前の扉が開き明彦が入ってきた。
「おはよう、凛子。今日は久しぶりの雨だな。お陰でずぶ濡れだよ」
明彦のブレザーは雨に打たれて、びっしょりと濡れていた。私はポケットからハンカチを取り出すと、明彦の濡れた肩を背伸びをして拭いてやった。
「おはよう。こんなに濡れちゃって、まるで子供みたい」
「そっちこそ、世界地図なんか眺めてどうしたんだよ?やっぱり遠いんだなとか考えてたんだろ」
「そんなことないわ」
私達は明彦の席へ行き話をした。
「ねぇ、留学のことはお父様ときちんと話せたの?」
「ああ。昨夜、一晩掛けて説得した。結局は納得してくれたよ」
「そう、良かった。それで試験はいつ頃の予定なの?」
「多分、九月か十月くらいじゃないかと思う。色々と書類が送られてきて、こっちで試験になると思うんだ。それまでは猛勉強しないとな」
「バイトや部活はどうするの?」
「勿論、続けるつもりだよ」
「じゃあ、忙しくなるわね。明彦が忙しくなる前に、来週の日曜日、和君のお墓参りに行かない?それともう一件、付き合って欲しいの」
「もう一件って何?」
「実は昨夜ね、父と電話で話したの」
「お父さんと?ずいぶんと突然だな、六年振りだろ?」
「そう。昨日の帰りの電車の中で、母と父の話になってね。母が携帯電話の番号を教えてくれたから、昨夜、電話してみたの」
「そうだったのか。それで日曜日に会う約束をしたんだ」
「うん。でもひとりで父に会う勇気がなくて…待ち合わせの時だけ一緒にいて貰えないかと思って」
「分かった、着いて行くよ。何時に何処で待ち合わせてるの?」
「四時に銀座の三越前」
「そうか。お父さんに、いきなり怒鳴られたりしないよな?」
「そんな人じゃないから大丈夫よ、安心して」
その日は一時間目から二週間後の修学旅行に備えて、オリエンテーリングが特別教室で行われた。
修学旅行は三泊四日の予定で北海道。
一日目は羽田空港から、一路函館空港へ。空港からバスで函館市内へ移動し、市内を自由行動。
二日目は大沼公園で昼食をとり、ニセコでアイスクリーム作りや乗馬などの体験学習をし札幌へ移動。
三日目は小樽へ向かい自由行動。運河方面や札幌を散策。
四日目は最終見学地の開拓の村へ。昼食は札幌ファクトリーでラムしゃぶを食す。
その後、新千歳空港から羽田空港へ戻るという行程だ。
十一月に文化祭もあるが、この四日間の修学旅行が高校生活最大のイベントとなる。
私達六人は『旅のしおり』を手に、その日の昼食をとった。
「一日目は函館空港からバスで函館市街へ移動だろう。昼飯は『函館朝市』で、ラーメンや寿司だってさ。その後はベイエリアを散策。クルージングなんかもできるみたいだぞ!」
さっそく輝がはしゃいでいる。
「ねぇ、元町の旧函館区公会堂では、明治時代の衣装で記念撮影もできるみたいよ。あたし達はこれやろうよ」
結衣も興奮気味だ。
「明治時代のドレスを着られるの?」
私は興味津々だった。
「凛子はそういうの、すっごく似合いそうだよね」
「ちょっと博美、それどういう意味?」
「深い意味なんてないよ。想像しただけで似合いそうだなって思ったの」
「凛子は古風だから似合いそうだって言いたいんだろ」
明彦が横からちゃちゃを入れる。
「二日目は体験学習で、アイスクリーム作りや乳搾りもできるみたいだぞ!」
「まったく輝は食べ物のことばっかりだな。男だったら五稜郭とか、羊ヶ丘のクラーク博士像とかに興味ないのか?」
さすが純也は歴史などに興味があるようだ。
「俺にとってこの修学旅行は、食い倒れツアーなの」
「もうやだー、輝ったら!」
結衣が輝の腕を肘で小突いた。
今日の昼食は修学旅行の話題で持ちきりだった。
私はお気に入りの空色の傘をさしながら、土手の上を歩いていた。ぬかるんだ土手を歩いていると、今朝出がけに磨いたばかりの革靴が直ぐ泥だらけになった。
母には今朝、来週の日曜日に父と会うことを報告した。
母は、
「日曜日は、パパにうんとご馳走して貰いなさい」
と言うと、それきり何も言わなかった。
私は歩きながら、昨夜の父との電話での会話を思い出していたのだった。
昨夜、六年振りに私の声を聞いた父は、電話の向こうで泣いていた。私や俊太郎の事を案じ、自分は身勝手な父親だったと詫びていた。父は私達家族を捨て家を出て行ったが、私は父を恨んだりしたことなど一度たりともなかったというのに。
父は高校三年生になった私を見て、何と言うのだろう?
私は一体、父と何を話すのだろう?
父と私は六年という歳月を、果たして埋める事ができるのだろうか?
様々な思いが胸に渦巻いた。
三年生の校舎に着くと私は傘の雨滴を払い、丸めて傘立てに立て掛けた。上履きに履き替えると、革靴に付いた泥をティッシュペーパーで丁寧に拭き取り下駄箱に入れた。
二階まで階段を駆け上がり教室に入ると、今朝は明彦はまだきてはいなかった。
私は自分の机に鞄を置き、教室の前の壁に貼ってある世界地図の前まで行った。日本からイギリスまでの距離を指でなぞってみる。
その時、教室の前の扉が開き明彦が入ってきた。
「おはよう、凛子。今日は久しぶりの雨だな。お陰でずぶ濡れだよ」
明彦のブレザーは雨に打たれて、びっしょりと濡れていた。私はポケットからハンカチを取り出すと、明彦の濡れた肩を背伸びをして拭いてやった。
「おはよう。こんなに濡れちゃって、まるで子供みたい」
「そっちこそ、世界地図なんか眺めてどうしたんだよ?やっぱり遠いんだなとか考えてたんだろ」
「そんなことないわ」
私達は明彦の席へ行き話をした。
「ねぇ、留学のことはお父様ときちんと話せたの?」
「ああ。昨夜、一晩掛けて説得した。結局は納得してくれたよ」
「そう、良かった。それで試験はいつ頃の予定なの?」
「多分、九月か十月くらいじゃないかと思う。色々と書類が送られてきて、こっちで試験になると思うんだ。それまでは猛勉強しないとな」
「バイトや部活はどうするの?」
「勿論、続けるつもりだよ」
「じゃあ、忙しくなるわね。明彦が忙しくなる前に、来週の日曜日、和君のお墓参りに行かない?それともう一件、付き合って欲しいの」
「もう一件って何?」
「実は昨夜ね、父と電話で話したの」
「お父さんと?ずいぶんと突然だな、六年振りだろ?」
「そう。昨日の帰りの電車の中で、母と父の話になってね。母が携帯電話の番号を教えてくれたから、昨夜、電話してみたの」
「そうだったのか。それで日曜日に会う約束をしたんだ」
「うん。でもひとりで父に会う勇気がなくて…待ち合わせの時だけ一緒にいて貰えないかと思って」
「分かった、着いて行くよ。何時に何処で待ち合わせてるの?」
「四時に銀座の三越前」
「そうか。お父さんに、いきなり怒鳴られたりしないよな?」
「そんな人じゃないから大丈夫よ、安心して」
その日は一時間目から二週間後の修学旅行に備えて、オリエンテーリングが特別教室で行われた。
修学旅行は三泊四日の予定で北海道。
一日目は羽田空港から、一路函館空港へ。空港からバスで函館市内へ移動し、市内を自由行動。
二日目は大沼公園で昼食をとり、ニセコでアイスクリーム作りや乗馬などの体験学習をし札幌へ移動。
三日目は小樽へ向かい自由行動。運河方面や札幌を散策。
四日目は最終見学地の開拓の村へ。昼食は札幌ファクトリーでラムしゃぶを食す。
その後、新千歳空港から羽田空港へ戻るという行程だ。
十一月に文化祭もあるが、この四日間の修学旅行が高校生活最大のイベントとなる。
私達六人は『旅のしおり』を手に、その日の昼食をとった。
「一日目は函館空港からバスで函館市街へ移動だろう。昼飯は『函館朝市』で、ラーメンや寿司だってさ。その後はベイエリアを散策。クルージングなんかもできるみたいだぞ!」
さっそく輝がはしゃいでいる。
「ねぇ、元町の旧函館区公会堂では、明治時代の衣装で記念撮影もできるみたいよ。あたし達はこれやろうよ」
結衣も興奮気味だ。
「明治時代のドレスを着られるの?」
私は興味津々だった。
「凛子はそういうの、すっごく似合いそうだよね」
「ちょっと博美、それどういう意味?」
「深い意味なんてないよ。想像しただけで似合いそうだなって思ったの」
「凛子は古風だから似合いそうだって言いたいんだろ」
明彦が横からちゃちゃを入れる。
「二日目は体験学習で、アイスクリーム作りや乳搾りもできるみたいだぞ!」
「まったく輝は食べ物のことばっかりだな。男だったら五稜郭とか、羊ヶ丘のクラーク博士像とかに興味ないのか?」
さすが純也は歴史などに興味があるようだ。
「俺にとってこの修学旅行は、食い倒れツアーなの」
「もうやだー、輝ったら!」
結衣が輝の腕を肘で小突いた。
今日の昼食は修学旅行の話題で持ちきりだった。