君に贈るエピローグ
父の死3
翌日の告別式も小沢さんと彼女の親戚が数人と、あとは私達一家だけの淋しいものだった。暫くすると読経が始まり、私達は順番に焼香をした。喪主の小沢さんは始終ハンカチで口元を抑え、挨拶も早々にずっと嗚咽するばかりだった。
いよいよ出棺の時となり、父の棺の中を白菊の花でいっぱいに飾った。やがて棺の蓋が静かに閉じられた。間も無く父の遺体は隣の建物の火葬場へと運ばれ、荼毘に付された。それまで気丈に振る舞っていた母が、肩を震わせて泣いていた。泣き崩れそうになる母を隣で祖母が支えた。私と俊太郎は固く手を繋ぎ、火炉へと吸い込まれて行く棺を見守った。

火葬を待つ間、休憩室で精進落としが振る舞われた。俊太郎は無邪気に目の前の料理に箸を付け、母と祖母はビールを飲んでいた。私は食欲が湧かず、烏龍茶ばかりを飲んだ。
暫くすると、小沢さんが母のもとへとやってきた。母にビールを勧めると、徐に話し始めた。
「昨夜、小沢の遺品を整理していたら、書斎の机の引き出しの奥から、これが出てきたんです」
「一体、何でしょう?」
小沢さんは紙袋の中から、数枚の写真と便箋の束を取り出すと、母に渡した。
それは昔の家の前で、家族四人で写っている写真や、伊豆へ旅行に出掛けた時の写真、母や私や俊太郎に宛てた手紙の数々だった。
「小沢はいつもきっと、苦しんでいたんだと思います。私の前ではそんな素振りは一度も見せたことはありませんでしたが、皆さんの事を忘れたことなんて、片時もなかったんだと思います」
私は便箋の束を手に取り、父の懐かしい文字を眺めた。手紙は途中まで書かれてペンでぐちゃぐちゃに消されているものや、最後まで書かれて結局はポストに投函されることがなかったものなど様々だった。
私はその中の一通に目を通した。

凛子へ
元気にしているかい?父さんは昨年の九月に転職をして、今は出版社で働いています。まだまだ慣れない仕事に戸惑うこともあるけれど、毎日、元気に仕事をしています。凛子はこの四月で中学生になったんだね。おめでとう。何もしてやれない自分が、父さんは情けなくて仕方がない。ごめんな、凛子。きっと大きくなったんだろうな。成長した凛子や俊太郎に会いたくて、最近どうしようもない。お母さんの手伝いや、俊太郎の面倒はちゃんとみてくれているかい?学校へはきちんと行っているんだろうか?父さんは毎日、そんなことばかりを考えて過ごしています。身勝手な父さんを許してはくれないだろうが、これだけは信じて欲しい。父さんはお前達のことを忘れた事なんて一度もない。いつも君達の幸せを願っている…

手紙はそこで終わっていた。便箋の上に涙が零れ落ち文字が滲んだ。
二時間余りが過ぎ、私達は火葬場へ拾骨に向かった。私は俊太郎とふたりで父の骨を拾った。
「俊、お父さんの骨を一緒に拾うのよ」
「お父さん、ちゃんとひとりで天国へ行けたかなぁ」
「うん…きっと天国で、俊の事をいつも見ているわ。だから、俊も頑張らなくちゃ」

拾骨が終わると小沢さんがお骨を両腕に抱え、私達のもとへ挨拶にやってきた。
「これ、小沢の喉仏です。持って帰ってやってください」
「そんな…こんなに大切な物、いただけないわ。これは小沢さんが持っていらして」
「いいんです。是非、持って帰っていただきたいんです」
そう言って、母に骨袋を手渡した。
「本当に色々と気を遣ってくださって有難うございます。ではこれは、暫くお預かりさせていただきます。初七日は仕事でお伺いできないと思いますが、四十九日にはお宅に伺わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「勿論です。大々的には行わないと思いますが、是非、いらしてください」
「有難うございます。小沢さんもお疲れでしょう?お身体大切になさってくださいね。では、これで失礼します」

私達は家に着くとそれぞれに塩払いをして玄関を入った。私はその晩、幼い頃のアルバムを開いた。枚数は少なかったが、どの写真の中でも父は笑っていた。父がこの世から消えてなくなってしまったことを、改めて実感した。
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