君に贈るエピローグ
掛け違えのボタン2
それから私と潤は、帰りの方向が同じ事もあり、アルバイトのある日には必ず一緒に帰るようになった。潤とは話が良く合い、次第に親しくなって行った。
ちょうどアルバイトを始めて二週間が経った頃、その日は休みだったので、博美と結衣の三人で下校した。
「何だかさ、最近、純也は受験勉強が忙しくて、全然相手にしてくれないから、淋しいんだ。凛子と山口君はどう?」
「私達も同じよ。明彦なんて秋には試験でしょう。最近は朝も勉強しているし、お互いバイトもしているから、お昼の時にみんなと一緒に話すくらいで、全然、ふたりで話もしてない」
「そっかぁ、やっぱりそうだよね。あたしも何かバイト始めようかなー」
「ねぇねぇ、凛子、今日バイト休みなんでしょ?じゃあさ、凛子のバイト先のカフェに寄って行かない?」
結衣が目を輝かせて言った。
「そうね、じゃあ寄って行こうか」
駅の横にある鯛焼き屋で人数分の差し入れを買い、私達は店へ向かった。
「こんにちは!お疲れ様です」
「あっ、凛子ちゃん、いらっしゃい!」
潤はいつの間にか私の事を、『凛子ちゃん』と呼ぶようになっていた。
「山下さん、これ、差し入れです」
「わざわざ、こんな気を遣わなくていいのに」
「気持ちだけですから」
「ケーキ屋に、甘いもの持ってきてどうすんのよ。まったく気が利かない」
カウンターの中にいた優子が、私を横目で睨み付けるとぼそっと言った。
潤はそんな優子を無視して続けた。
「お友達?」
「そうなんです。クラスメイトの博美と結衣です。二階って空いてますか?」
「うん。今日は暇だから、お好きな席へどうぞ」
潤はそう言って、二階へと案内してくれた。二階は珍しく客が誰もいなかった。私達は窓際の席の四人掛けテーブルに座った。
「何にする?」
「私はアイスココアをください。結衣と博美は?」
結衣はオレンジジュース、博美はアイスティーをそれぞれ注文した。
「ねぇ、さっきのあの女、なにあれ?超カンジ悪い!」
結衣が身を乗り出して言った。
「ああ、田中さんの事?あの人、聖南大学の二年生なのよ。いつもあんな感じだから、別に気にしてない」
「それより今の人、格好良くない?」
「博美ったら、あの人は山下さんって言ってね、聖南大学の三年生」
「そうなんだ、じゃあ、あたし達の先輩って訳だ」
「そう。高校も聖南だったんだって」
「凄く優しそうな人だよね」
「うん、とってもいい人よ。まだ慣れない私にも、色々と教えてくれるの」
「もしかして、凛子に気があったりして」
「もう結衣ったら、冗談言わないでよ」
「それよりこれ、修学旅行の写真。凛子、途中で帰っちゃったでしょ。だから私と結衣で、アルバム作ったの」
「わぁ、嬉しい。有難う」
私はアルバムのページを開いた。ページの先頭に元町の旧函館区公会堂のテラスで明彦とふたりで写った写真が、大きく引き伸ばして貼られていた。懐かしかった。
その時、潤がトレイに飲み物とプリンを乗せて席までやってきた。
「お待たせ!はい、このプリンは店からのサービス」
「わぁっ、有難うございます」
潤はアルバムを覗き込んだ。
「あれ、これ凛子ちゃん?」
「そうです。四月に修学旅行に行った時の写真なんです」
「これ、この間の彼氏か。ふたりとも良く撮れてるじゃん。羨ましいな」
「山下さんって、彼女は?」
博美はアイスティーにひとくち口を付けると、身を乗り出すようにして潤に聞いた。
「今はフリー。みんな、彼氏いるの?」
「はい。あたしは一年の時からずっと付き合ってる彼氏がいます。凛子と博美は付き合い出したのは、つい最近なんですよ」
「ふーん、そっかぁ。わぁ、懐かしいな。俺らも北海道行ったよ」
「そうなんですか、じゃあ昔と変わってないんですね」
潤は懐かしそうにページを捲りながら、暫くアルバムを眺めていた。
「ねぇ、今度さぁ、俺の友達も誘うからみんなで日曜日にでも、車でどっか行かない?」
「車で?行きたいー!」
そうはしゃいで言ったのは結衣だった。
「山下さんって、車、持ってるんですか?」
博美が興味深げに聞いた。
「うん。親父に去年、頼み込んで買ってもらったんだ。今の時期だと、鎌倉に紫陽花とか見に行くのはどう?」
「わぁっ、いいかも!私の彼氏も受験組で勉強が忙しくて、全然、相手にしてくれないんですー。ねぇ、凛子」
「うん…」
「じゃあさ、パーっと気晴らしにみんなで鎌倉行こうよ!」
「はーい!」
博美と結衣が同時に歓声を上げた。
「ちょっと、凛子も行くでしょ?」
「でも、明彦に聞いてみないと…」
「そんなの黙ってれば分からないんだから、いちいち言わなくてもいいじゃん」
結衣が隣で小声でそう言った。
さっそく話がまとまり、来週の日曜日に皆で鎌倉に行く事になった。
私はその晩、ベッドに潜り込みながら迷っていた。今まで明彦以外の男性と、何処かへ遊びに行く事などなかった。何より勉強で忙しい明彦に秘密にしておくのが嫌だった。
翌日、私は久しぶりに早く登校した。朝から冷たい雨が降っていた。最近は明彦が忙しい事やアルバイトもあったので、朝の日課からは遠のいていた。教室を覗き込むと、明彦はひとり黙々と勉強をしていた。音を立てぬよう静かに扉を開けた。
「おはよう…」
「凛子じゃないか、おはよう。最近、珍しいな。久しぶりに朝の日課か?」
「ううん、違うの」
私は明彦の席に近付くと、前の席に鞄を置いて座った。
「ごめんね、勉強している最中に。あのね、ちょっと相談したい事があって…」
「相談?」
明彦はノートから目を上げると、机に肘を突いて私に尋ねてきた。
「あのね、実は昨日、バイト先の人に、来週の日曜日、鎌倉に遊びに行かないかって、誘われたの?」
「そうなんだ、どんな人?」
「聖南大学の三年生」
「男か?」
「うん。結衣や博美も一緒に行くんだけど、私も行ってもいい?」
「別に凛子が行きたいなら、行ってもいいんじゃないか?」
明彦は素っ気なく答えた。教科書に目を戻すと、ノートにシャープペンシルを走らせながら言った。
「そう…」
「そんな事、いちいち俺に相談しなくても、凛子が自分で決めればいい」
「どうして?明彦は私が他の男の人と出掛けても何とも思わないの?」
「そうじゃないけどさ、凛子が行きたいなら仕方ないだろ」
明彦はノートから少しも目を離さず、私を突き放すような言い方をした。
「分かった…じゃあ、行ってくるから。一応、報告だけはしておこうと思っただけ」
「俺が今大変なの、凛子が一番良く分かってる筈だろ?」
「ごめんね、勉強の邪魔したりして。もう明彦の邪魔をするような事はしないから」
喉元にせり上がった感情を抑えきれず、小鼻がひくひくと動くのを感じた。私は鞄を持つと教室を飛び出した。
「おい、凛子!」
そう呼んだきり、明彦は追い掛けてはこなかった。階段を駆け下り、傘を差して校舎を出た。校庭の花壇には水色の紫陽花が沢山咲いていた。
明彦と一緒に校庭の花を見ながら笑い合った日の事を思い出すと、堰を切ったように涙が溢れた。私は紫陽花の花の前に佇みひとり泣いた。私の心の中にも冷たい雨がしとど降った。
ちょうどアルバイトを始めて二週間が経った頃、その日は休みだったので、博美と結衣の三人で下校した。
「何だかさ、最近、純也は受験勉強が忙しくて、全然相手にしてくれないから、淋しいんだ。凛子と山口君はどう?」
「私達も同じよ。明彦なんて秋には試験でしょう。最近は朝も勉強しているし、お互いバイトもしているから、お昼の時にみんなと一緒に話すくらいで、全然、ふたりで話もしてない」
「そっかぁ、やっぱりそうだよね。あたしも何かバイト始めようかなー」
「ねぇねぇ、凛子、今日バイト休みなんでしょ?じゃあさ、凛子のバイト先のカフェに寄って行かない?」
結衣が目を輝かせて言った。
「そうね、じゃあ寄って行こうか」
駅の横にある鯛焼き屋で人数分の差し入れを買い、私達は店へ向かった。
「こんにちは!お疲れ様です」
「あっ、凛子ちゃん、いらっしゃい!」
潤はいつの間にか私の事を、『凛子ちゃん』と呼ぶようになっていた。
「山下さん、これ、差し入れです」
「わざわざ、こんな気を遣わなくていいのに」
「気持ちだけですから」
「ケーキ屋に、甘いもの持ってきてどうすんのよ。まったく気が利かない」
カウンターの中にいた優子が、私を横目で睨み付けるとぼそっと言った。
潤はそんな優子を無視して続けた。
「お友達?」
「そうなんです。クラスメイトの博美と結衣です。二階って空いてますか?」
「うん。今日は暇だから、お好きな席へどうぞ」
潤はそう言って、二階へと案内してくれた。二階は珍しく客が誰もいなかった。私達は窓際の席の四人掛けテーブルに座った。
「何にする?」
「私はアイスココアをください。結衣と博美は?」
結衣はオレンジジュース、博美はアイスティーをそれぞれ注文した。
「ねぇ、さっきのあの女、なにあれ?超カンジ悪い!」
結衣が身を乗り出して言った。
「ああ、田中さんの事?あの人、聖南大学の二年生なのよ。いつもあんな感じだから、別に気にしてない」
「それより今の人、格好良くない?」
「博美ったら、あの人は山下さんって言ってね、聖南大学の三年生」
「そうなんだ、じゃあ、あたし達の先輩って訳だ」
「そう。高校も聖南だったんだって」
「凄く優しそうな人だよね」
「うん、とってもいい人よ。まだ慣れない私にも、色々と教えてくれるの」
「もしかして、凛子に気があったりして」
「もう結衣ったら、冗談言わないでよ」
「それよりこれ、修学旅行の写真。凛子、途中で帰っちゃったでしょ。だから私と結衣で、アルバム作ったの」
「わぁ、嬉しい。有難う」
私はアルバムのページを開いた。ページの先頭に元町の旧函館区公会堂のテラスで明彦とふたりで写った写真が、大きく引き伸ばして貼られていた。懐かしかった。
その時、潤がトレイに飲み物とプリンを乗せて席までやってきた。
「お待たせ!はい、このプリンは店からのサービス」
「わぁっ、有難うございます」
潤はアルバムを覗き込んだ。
「あれ、これ凛子ちゃん?」
「そうです。四月に修学旅行に行った時の写真なんです」
「これ、この間の彼氏か。ふたりとも良く撮れてるじゃん。羨ましいな」
「山下さんって、彼女は?」
博美はアイスティーにひとくち口を付けると、身を乗り出すようにして潤に聞いた。
「今はフリー。みんな、彼氏いるの?」
「はい。あたしは一年の時からずっと付き合ってる彼氏がいます。凛子と博美は付き合い出したのは、つい最近なんですよ」
「ふーん、そっかぁ。わぁ、懐かしいな。俺らも北海道行ったよ」
「そうなんですか、じゃあ昔と変わってないんですね」
潤は懐かしそうにページを捲りながら、暫くアルバムを眺めていた。
「ねぇ、今度さぁ、俺の友達も誘うからみんなで日曜日にでも、車でどっか行かない?」
「車で?行きたいー!」
そうはしゃいで言ったのは結衣だった。
「山下さんって、車、持ってるんですか?」
博美が興味深げに聞いた。
「うん。親父に去年、頼み込んで買ってもらったんだ。今の時期だと、鎌倉に紫陽花とか見に行くのはどう?」
「わぁっ、いいかも!私の彼氏も受験組で勉強が忙しくて、全然、相手にしてくれないんですー。ねぇ、凛子」
「うん…」
「じゃあさ、パーっと気晴らしにみんなで鎌倉行こうよ!」
「はーい!」
博美と結衣が同時に歓声を上げた。
「ちょっと、凛子も行くでしょ?」
「でも、明彦に聞いてみないと…」
「そんなの黙ってれば分からないんだから、いちいち言わなくてもいいじゃん」
結衣が隣で小声でそう言った。
さっそく話がまとまり、来週の日曜日に皆で鎌倉に行く事になった。
私はその晩、ベッドに潜り込みながら迷っていた。今まで明彦以外の男性と、何処かへ遊びに行く事などなかった。何より勉強で忙しい明彦に秘密にしておくのが嫌だった。
翌日、私は久しぶりに早く登校した。朝から冷たい雨が降っていた。最近は明彦が忙しい事やアルバイトもあったので、朝の日課からは遠のいていた。教室を覗き込むと、明彦はひとり黙々と勉強をしていた。音を立てぬよう静かに扉を開けた。
「おはよう…」
「凛子じゃないか、おはよう。最近、珍しいな。久しぶりに朝の日課か?」
「ううん、違うの」
私は明彦の席に近付くと、前の席に鞄を置いて座った。
「ごめんね、勉強している最中に。あのね、ちょっと相談したい事があって…」
「相談?」
明彦はノートから目を上げると、机に肘を突いて私に尋ねてきた。
「あのね、実は昨日、バイト先の人に、来週の日曜日、鎌倉に遊びに行かないかって、誘われたの?」
「そうなんだ、どんな人?」
「聖南大学の三年生」
「男か?」
「うん。結衣や博美も一緒に行くんだけど、私も行ってもいい?」
「別に凛子が行きたいなら、行ってもいいんじゃないか?」
明彦は素っ気なく答えた。教科書に目を戻すと、ノートにシャープペンシルを走らせながら言った。
「そう…」
「そんな事、いちいち俺に相談しなくても、凛子が自分で決めればいい」
「どうして?明彦は私が他の男の人と出掛けても何とも思わないの?」
「そうじゃないけどさ、凛子が行きたいなら仕方ないだろ」
明彦はノートから少しも目を離さず、私を突き放すような言い方をした。
「分かった…じゃあ、行ってくるから。一応、報告だけはしておこうと思っただけ」
「俺が今大変なの、凛子が一番良く分かってる筈だろ?」
「ごめんね、勉強の邪魔したりして。もう明彦の邪魔をするような事はしないから」
喉元にせり上がった感情を抑えきれず、小鼻がひくひくと動くのを感じた。私は鞄を持つと教室を飛び出した。
「おい、凛子!」
そう呼んだきり、明彦は追い掛けてはこなかった。階段を駆け下り、傘を差して校舎を出た。校庭の花壇には水色の紫陽花が沢山咲いていた。
明彦と一緒に校庭の花を見ながら笑い合った日の事を思い出すと、堰を切ったように涙が溢れた。私は紫陽花の花の前に佇みひとり泣いた。私の心の中にも冷たい雨がしとど降った。