君に贈るエピローグ
傷だらけの絆2
日曜日は梅雨の中休みか、昨日までの雨が嘘のように良く晴れた。俺は部屋の窓を開け放ち、青く澄んだ空を見上げた。空に燦々と輝く太陽が余計に俺の心を締め付けた。
机に向かったものの、朝から全く勉強など手に付かない状態だった。昼になり少し遅めの昼食をとってから、俺は洗面所に行き冷たい水で顔を洗った。濡れた顔で鏡をじっと見つめていると凛子の笑顔が思い出された。
夕方四時過ぎになると、俺はいても立ってもいられなくなり、机の上のノートと教科書を閉じ身支度を整え家を出た。バスに揺られ凛子の家の近くの大和川公園へと向かった。

公園に着くと俺はベンチに腰を下ろした。砂場で近所の親子連れが砂遊びをしていた。三人で大きな山を作り、四歳くらいの男児がスコップで山にトンネルを掘っている。凛子とふたりで未来の夢を語り合った日の事を思い出すと、胸が締め付けられる思いがした。
日もすっかり落ちた頃、俺は凛子の家の前を行ったりきたりした。とにかく俺は無性に凛子の顔を一目見たかった。
一体どれくらいの時間、そんな事を繰り返しただろう。ふと腕時計に目をやるともうすでに午前十二時を回っていた。
俺は何度も凛子にメールをしようとしたが、結局は何もできないまま、公園のベンチでひたすら凛子の帰りを待った。

十二時半を過ぎた頃、公園の入口に白のミニバンが止まった。中から凛子と見知らぬ男がひとり姿を現した。俺は咄嗟にベンチの後ろの茂みに身を隠した。
凛子は顔に濃い化粧を施し、耳に見たこともない大きなイヤリングをぶら下げていた。酔っているのか男の肩にもたれ掛かり、おぼつかない足取りで公園へと入ってきた。俺の全く知らない凛子に、強い衝撃を受けた。
凛子と男はかつて俺達が語り合ったブランコに並んで座ると話し始めた。
「山下さん、今日は楽しかったね」
「凛子ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、これくらい。あー、気持ちいい」
そう言うと、ブランコを漕ぎながら、凛子は履いていたハイヒールを、遠くへ放り投げた。
「普段こんなの履いたことないから、足疲れちゃった」
「なぁ、凛子ちゃん、今の彼氏の事、好き?」
「好きですよ。私達、お互い何も知らずに、実は三歳の頃に出逢っていたんです」
「ふーん、そしてまた出逢った」
「そう。今年の一月に彼が転校してきて、彼、次の日の朝、私に言ったんです。『人としてもっと君の事を知りたいんだ』って。山下さん、同志って理解できます?」
「同志って、同じ方向に向かって生きて行くって事だろ。それくらい君達は深い絆で結ばれているって事か」
「でもね、彼の事、何だか良く分からなくなっちゃった。私、嫌われちゃったのかな…」
「どうして?」
「だって彼に、『山下さん達と鎌倉へ出掛けてもいい?』って聞いたら、『そんな事、いちいち俺に相談しなくても、凛子が自分で決めればいい』って、言われちゃいました」
凛子はブランコを大きく漕ぎながら言った。
「じゃあ、そんな奴とは別れちゃえよ」
「えっ…」
「そんな奴とは別れて、俺と付き合わない?俺も凛子ちゃんの事、もっと知りたいな」
山下という男は立ち上がると、凛子の座るブランコの前に徐に立ちはだかった。
「こういうのはいつも突然なんだ」
そう言うと、凛子をブランコから抱き上げ、突然、彼女の唇を奪った。
「ちょっと、やめて、山下さん!」
凛子は男の身体から離れると、右手の甲で唇を拭った。
「もしかして凛子ちゃん、今の彼氏と出逢ったのって、運命だとか思ってる?」
「………」
「だったらさぁ、俺達がこうして出逢ったのも運命だとは思わない?」
凛子は口に手を当てたまま、じっと地面を見つめている。
「俺じゃ、駄目?」
「そんな事言われても…山下さんは、先輩だし、お兄ちゃんみたいな存在っていうか…」
「別に俺はそれで構わないよ」
男は再び凛子の腰に手を回した。
「俺さ、実を言うと、田中と付き合ってたんだ」
「………」
「だけどあいつ、あんな性格だろ。俺、付いて行けなくなっちゃってさ。つい最近、別れたんだ」
「山下さん…」
「もう一度だけ聞くよ。俺じゃ、駄目?」
すると凛子は裸足のまま背伸びをすると、男の首に手を回し、自ら男に身体を預けた。
「山下さんも淋しいんだね」
ふたりは暫くの間、互いの身体をきつく抱き締め合い、それから何度も唇を重ね合った。
その時だった。
凛子の左手の薬指から俺の渡した指輪が、するりと抜け落ち、鈍い音を立て地面へと落下した。信じられなかった。
そこは俺の存在など全く不必要なふたりだけの世界だった。俺は倒れこむように木にもたれ掛かかると、目の前の現実から目を背けた。

気が付くと俺は自分の部屋のベッドの上にいた。天井を眺め眺めていると、先程の光景がはっきりと頭の中に甦る。俺はどうやって家に辿り着いたのかすらも分からなかった。
ベッドに寝転んでいると、凛子の身体の温もりが思い出され俺を苦しめた。

翌朝、彼女は何事もなかったかのようにいつもの姿で教室へ現れた。席に着くと鞄から小さな手鏡を取り出し、ずっと自分の顔を眺めていた。
俺はそれから何かに取り憑かれたかのように勉強に打ち込み、あの日見た事の全てを胸の内にしまい込んだ。凛子とも何事もなかったかのように普通に接した。あの日見た事を彼女に問い詰める事もしなかった。また凛子も自分からは何も話そうとはしなかった。

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