君に贈るエピローグ
決意
2009年10月

私は部屋の窓を開け放ち、ビルの彼方に輝く朝日を眺めていた。
眼下に咲く金木犀の花からは甘い香りが漂い、朝の澄んだ空気が部屋一面にまでその香りを送り届けている。

今年の三月で私は二十五になった。
高校三年生の夏休みに起こったあの忌まわしい出来事の夢を、私は今でもたまに見る。あの日以来、私は髪をバッサリと短く切り、制服以外でスカートを履いたことは一度もない。

八年前のあの夏の夜、私は何人もの男達によって、身も心もズタズタにされた。
助けにきてくれた明彦は自分自身を責め、試験を受ける事をやめると言った。明彦の重荷にだけはなりたくなかった私は、たった一枚のメモ書きを残し、彼の前から姿を消した。
私は母に真実を打ち明け、私達一家は二学期を待たずして、逃げるようにあの町を去った。
しかし苦難はそれだけでは終わらなかった。あの事件から三週間ほどが経ち、明彦の誕生日が過ぎた頃、私は生理が遅れていることに気付いた。毎月必ずといっていいほど、決まってきていた生理が、予定日を一週間過ぎてもこない。私の胸を一縷の不安が過った。
私は薬局で妊娠検査薬を購入し、自宅のトイレで密かに検査を試みた。結果が陰性である事を願いながら。しかし私の願いも虚しく、結果は陽性と出た。妊娠していた。私は目の前が真っ暗になった。
強姦、そして妊娠。
当時まだ十七歳だった私にとって、その現実はあまりにも非情な仕打ちだった。
妊娠の事は母には黙っていた。
母にこれ以上の心配は掛けられない。
そう思った私は、親の承認なしに中絶手術を受けられる病院をインターネットで、血眼になりながら探した。そしてアルバイトで貯めたお金と貯金を切り崩し、誰にも告げることなく、ただひとり中絶手術を受けた。奇しくも私がひとつの命を絶ったその日は、明彦から試験に合格したという知らせが届いた日でもあった。
その日を境に、私は完全に生きる望みを失った。学校へ登校することはおろか、毎日自室のカーテンを閉ざしてはベッドの中に潜り込み、今まで何でも相談していた母にでさえ、自分の胸の内を明かすことはなくなった。
日に日に自虐的になり、死というものに対していつしか憧れのようなものを抱くようになっていた。私は薄暗い部屋の中、人知れずコンビニエンスストアで購入した剃刀で、幾度となくリストカットを繰り返すようになる。

東京に引っ越してから約二ヶ月が経とうとしていたある日の事だった。前の晩、例の事件の事が頭から離れず一睡もできなかった私は、母が会社に出勤し祖母が外出したのを見計らって浴室へと向かい、バスタブの蛇口をひねった。暫くするとバスタブは透明な湯でいっぱいになり、気が付くとバスタブから溢れ出した湯が私の足元をじゃぶじゃぶと濡らしていた。私は無意識のうちにその透明の湯の中で、左手首をいつもよりさらに深く切っていた。透明で少しの濁りもない澄んだ湯が、徐々に赤く染まって行く。その色は真紅のバラの花の色にも似ていて、私の目には美しくさえ映った。
手首の鋭い痛みは、温かな湯の中で緩やかに快感へと変わって行った。バスタブに寄り掛かり静かに瞼を閉じると、遠のく意識の中でまだ幼かった頃の記憶が次々とフラッシュバックしてきた。
十歳のクリスマスイブ、大きなクリスマスツリーの下で熱い缶コーヒーを啜りながら、大好きだった父と過ごした僅かな時間、私をひとり残して去って行った父の後ろ姿、公園でひとりブランコに揺られながら眺めた、キラキラと輝く硝子のプゥ、綿のように美しく舞う白い雪の中で出逢った少年…。
記憶のひとつひとつがまるで映像のように鮮やかにゆっくりと私の脳裏を過ぎった。温かな湯に身を委ねていると、だんだんと脳が麻痺し心地良い眠りへと誘われて行った。母の胎内にいた頃も、きっとこんな心地良い温もりに包まれていたのだろう。きっと私はこのまま死んで行く。しかし、不思議と怖くはなかった。私は生命を授かった瞬間へとただ戻って行くのだ。眠りと共に螺旋のような記憶は何もかも消え去り、やがて安息の時が訪れる。

その時だった。一筋の光が私の瞼に強く降り注いだ。私は目を開くと、その光の降り注ぐ方をゆっくりと振り返った。僅かに開いた窓から太陽の強い日差しが差し込んでいた。その日差しは、記憶を取り戻してから土手の下で空を見上げ、確固たる光を放つ、太陽のような自分になりたいと願った日の事を思い出させた。あの日、明彦と一緒に見た太陽が鮮明に蘇り、私を死の淵から現実へと呼び戻した。
私は傷口から流れ出る真っ赤な血を眺めた。ドクドクと手首の傷口が力強く脈を打っていた。まだ生きている、生きているんだ。亡くなった美奈子が私の頭の中で、一瞬、静かに微笑んだ。私は彼女の分まで生きなければならない。
『沈んだ太陽は必ずまた昇る』あの晩、明彦は私にそう言った。
流星の人よ、あなたはどんな時も私の道しるべだった。あなたは私が記憶を取り戻した時も、強い力で私を救ってくれた。例えどんなに苦しくとも私に「生きろ」と言ってくれた。生きよう、辛く苦しくとも、もう一度生き抜こう。そしてもし許されるのなら、いつの日かまたあなたをこの目で確かめたい。そう思った。
渾身の力を振り絞り、私は立ち上がった。
ふらつく足で浴室を出ると、タオルで傷口を抑えながら、壁際をつたってリビングまで辿り着き、電話の受話器を取った。
「もしもし?救急車をお願いします…どうか私を助けてください!」
私は受話器に向かって必死に叫んでいた。

気が付くとストレッチャーで病院の廊下を運ばれていた。真っ白い天井が目の上を素早く通り過ぎ行く光景が、今でもはっきりと印象に残っている。
集中治療室で一通りの処置を受けると、手当てをしてくれた担当医が、顔に笑みを浮かべながら言った。
「良く途中で思い留まったね。もう少し遅かったら、危ないところだったよ。今、君の身体の中には沢山の人達の血が流れている。心から感謝しなさい。そして良く頑張った自分を褒めてあげなさい」
その言葉が胸に染み入り私は泣いた。
それから暫くすると、母が病院に駆け付けてきた。
「凛子!」
病室に入ってくるなり母は私に駆け寄ると、包帯の巻かれた左手首を取り涙を流した。
「お母さん、ごめんなさい。また迷惑を掛けちゃった…」
「いいのよ、凛子。本当に辛かったね」
そう言って、母は何度も優しく頭を撫でてくれた。私は母に今まで自分がしてきたことの全てを打ち明けた。母は私のとりとめのない話にじっと耳を傾け、何も言わずにただひたすら涙を流しながら頷いた。

その後、私の命を救ってくれた医師と母の勧めもあり、私は精神科でのカウンセリングを受けるようになる。自らの辛い体験を吐き出す事によって、今まで頑なに閉ざされていた私の心は、次第に雪解けのごとく開かれて行くようになった。年が開ける頃になると、徐々にだが学校にも通えるようになって行った。幸い新しい高校でも何人かの信頼できる友人達と巡り会い、私の心に深く根を下ろしていた傷は月日の流れと共に少しずつ癒えつつあった。こうして以前の自分を取り戻して行った私は、春になり卒業が近付くに連れ、聖南学園で過ごした日々の事を強く思い出すようになっていた。明彦や結衣に博美、純也や輝達にもう一度会いたいという気持ちが日を追うごとに強くなった。特に明彦と過ごした日々の記憶は私の心を大きく揺さぶり始めた。だが、その気持ちとは裏腹に彼等と真正面から勇気までは到底持てずにいた。だから私は変わらず本当の住所や連絡先を誰にも明かすことはなかったし、自ら誰かにメールを送る事もなかったが、彼等と繋がっていられる唯一の手段である、携帯電話のアドレスだけはそのまま残した。
彼等は高校を卒業してからも何かある度にメールをくれたが、遥か遠いイギリスの地へと旅立ってしまった明彦とだけは、彼が卒業式の日に送ってきたメールを最後に音信不通になった。


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