彼は藤娘
「彩乃くん、それ、見てたん?途中で止めてくれたらいいのに。」
思わずそう責めると、彩乃くんは
『もちろん止めたわ、さすがに。でも本人がどうしても踊りたがったし諦めた。ダンサーの業(ごう)の深さやな。』
と、よくわからないことを言った。

『ほな、俺、もうちょっと稽古したいし、切るわ。おやすみ。』
彩乃くんは、そう言ってさっさと電話を切ってしまった。

……珍しいな。
あとちょっとで本番とはいえ、焦ってるというか、もどかしそうというか……。

ま、業(ごう)の深さは彩乃くんも同じ。
燈子ちゃんの怪我で、余計に舞への執着が増したのかな?と、私は単純に考えた。


翌朝、燈子ちゃんから学校を休む旨の連絡が来た。
よっぽど酷く足を痛めたのか……それとも、心が折れちゃったのかな。
いずれにしても明日からゴールデンウィーク前半の3連休。
元気にならはるといいんやけど。


「おや、今日は仏参じゃないんだね。燈子ちゃんは?」
いつもの電車に乗ると、セルジュにそう尋ねられた。

「お休み。怪我きつそうやった?彩乃くん?」
「……。」

彩乃くんの様子がおかしい。
今朝はずっと心ここにあらず、だ。

「彩乃?」
義人くんが少し大きい声で呼んでくれて、やっと彩乃くんは気づいた。

「あ?何?」
「何って、お前……」

3人に見つめられ、彩乃くんは頭をかいた。
「……悪ぃ。本番近いからか、つい頭がそっちにトリップしてて。」
 
「大変そうだな。『保名』。難しいんか?」
義人くんの問いかけに、彩乃くんは苦笑した。

「技術的には問題ない。見た目も俺に似合ってると思う。でも肝心の気持ちが遠すぎて。芸のために、あきに死んでもらうわけにもいかんし。」
「冗談のつもり?笑えないから、それ。」
セルジュはそう言ったけど、私は真面目に言ってみる。

「ほな、別れる?失踪したげようか?」
私がそう言うと、彩乃くんはため息をついた。
「あほ。逃がすわけないやろ。……まあ、何となくヒントは得た気がするから、今、思索中。」

義人くんが、そんな彩乃くんを見てさらっととんでもないことを言ってくれた。
「そもそも、童貞に男の色気が出せるんか?」

おいっ!
朝っぱらから、女子校育ちの女子高生の前でなんちゅう言葉を出してくれるねん!

わなわな震える私をよそに、彩乃くんはクールに受け流した。
「はいはい。ヤッたからって色気出るっちゅうもんちゃうわ。」

……意外とあっさり……もしかして、こういう会話の流れ、よくあることなのかな?
てか、童貞……なんだよね、やっぱり……はは……

「2人とも。あきらけいこが困ってるから。言葉選んで。」
セルジュがそう言うと、彩乃くんは私を見て、真っ赤になった。

……そんな顔されたら……たぶん私も赤くなっただろう……。

やだな。

なんか、意識しちゃった。
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