オフィス・ラブ #∞【SS集】
化粧品メーカーに勤める私がこの宣伝部門に入ったのは、ごく一般的なルートにのっとり、営業を2年務めた後だった。

社内で最も莫大な予算を扱い、商品の売れゆきを預かるこの部門には、志望者が後を絶たない。

営業時代の成績がものを言って、入ることができたはいいが、それはすなわち周囲がみんなそういうレベルの人間ということだ。


商品知識、販売知識に限らず、マーケティングセンス、メディア論。

王道のセオリーから、泡のように生まれては消える流行までもを網羅することが求められるこの職場は、刺激的で。

億の金が毎月、軽々と動き、手がけたコンテンツはすぐに全国区になり、タレントやモデルとの交流もある。

そして私たちは、代理店をはじめ、テレビ局や新聞社、雑誌社の営業がみなひれ伏す、ザ・広告主。

異常な世界だ、と思った。



『慣れすぎてもダメだけど、あるていどはこちらが堂々としていないと、かえって周りを戸惑わせるわ』



配属された当時、新庄さんというチームの主任が私に教えた。



『いばる必要はない。けど私たちは、何もかもを決定しなきゃいけない。その責任があるから、代理店が大事にしてくれるのよ』



そう、私たちは、すべてを決めなきゃいけない。

代理店はあくまでパートナーであり、サポーターだ。


私たちの仕事は、決めて、ぶれないこと。

「決定権がある」んじゃない、「決める義務がある」のだ。


だからこんなふうに大変更を依頼するのは正直屈辱で、宣伝担当失格という恥ずかしさもある。

それだけに、そこをわざわざ指摘せず、一緒に修正にとりくんでくれる三ツ谷さんがありがたい。



「真野さんは、こういうイベント、初ですか? 当日は僕らプロダクトも行きますから、楽しみましょうね」

「ええ、よろしく」



ものの数分で打ち合わせを終え、三ツ谷さんと別れると、私は階段を駆けあがり印刷室に戻った。

終了していたコピーをざっと確認して、フロアへ戻ってクリップでとめる。

この後は、まったく別件の打ち合わせだ。


毎日、息をつく暇もないほど忙しい。

けど、そのくらいのほうが、仕事なんて楽しいに決まってる。



< 165 / 206 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop