オフィス・ラブ #∞【SS集】

「やっぱり、まだこちらでしたか」

「三ツ谷さん…」



息を弾ませて駆け寄ってくると、ハンディライトを床に置き、座りこんでいた私をのぞきこむようにひざをつく。

その前髪や顎からは、ぽたぽたと水滴が垂れていた。



「大丈夫ですか、お怪我は?」

「ない、です、何も」



少しの間に、すっかり冷えきった室内は、ふたりの息を白く染める。



「ホールは、非常電源が動いています。このヤードは別系統なので、今発電機を倉庫にとりに行かせてます」

「あの、イベントは」

「パニックにはなっていません。弊社のスタッフが誘導し、お客様にはホール内で待機していただいています」



そうか、それならよかった。

私は寒さと恐怖に震える手を、息で温めた。



「無理に出ていくより、ここのほうが安全なので。もう少し待てますか。すぐ戻ってきますから」



そう言われて、言葉に詰まった。

またひとりになるのは、考えたくない。

でもそんな情けないことも言えず、三ツ谷さんの顔を見ると、私はさぞ弱気な顔をしていただろうに、彼は笑いもせず言った。



「暗いところは、お嫌いですか」



噛みしめていないと歯が鳴りそうな私の肩をつかんで、言い聞かせるように、穏やかに言ってくれる。



「明かりを置いていきますから、少しだけ、頑張ってください」



ライトに浮かぶ彼の姿は、よく見れば全身ぐっしょりと濡れて、あちこち走り回っていたことがうかがえた。



「…はい」



なんとか答えると、三ツ谷さんはにこっと笑って、着ていたジャケットを脱ぎ、私にはおらせる。

すぐ戻ります、ともう一度言って、彼は吹きなぐる雨と風の真っ暗闇の中に、また飛び出していった。

< 175 / 206 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop