オフィス・ラブ #∞【SS集】
「やっぱり、まだこちらでしたか」
「三ツ谷さん…」
息を弾ませて駆け寄ってくると、ハンディライトを床に置き、座りこんでいた私をのぞきこむようにひざをつく。
その前髪や顎からは、ぽたぽたと水滴が垂れていた。
「大丈夫ですか、お怪我は?」
「ない、です、何も」
少しの間に、すっかり冷えきった室内は、ふたりの息を白く染める。
「ホールは、非常電源が動いています。このヤードは別系統なので、今発電機を倉庫にとりに行かせてます」
「あの、イベントは」
「パニックにはなっていません。弊社のスタッフが誘導し、お客様にはホール内で待機していただいています」
そうか、それならよかった。
私は寒さと恐怖に震える手を、息で温めた。
「無理に出ていくより、ここのほうが安全なので。もう少し待てますか。すぐ戻ってきますから」
そう言われて、言葉に詰まった。
またひとりになるのは、考えたくない。
でもそんな情けないことも言えず、三ツ谷さんの顔を見ると、私はさぞ弱気な顔をしていただろうに、彼は笑いもせず言った。
「暗いところは、お嫌いですか」
噛みしめていないと歯が鳴りそうな私の肩をつかんで、言い聞かせるように、穏やかに言ってくれる。
「明かりを置いていきますから、少しだけ、頑張ってください」
ライトに浮かぶ彼の姿は、よく見れば全身ぐっしょりと濡れて、あちこち走り回っていたことがうかがえた。
「…はい」
なんとか答えると、三ツ谷さんはにこっと笑って、着ていたジャケットを脱ぎ、私にはおらせる。
すぐ戻ります、ともう一度言って、彼は吹きなぐる雨と風の真っ暗闇の中に、また飛び出していった。