【完】『ふりさけみれば』
深夜。
一慶の遺骸は病院を出た。
横浜市内の斎場に亡骸は安置され、通夜と葬儀はみなみと、梨沙や恵里菜など近場にいた者と、彩や力などの関西からの弔問が十数人という、比較的少ない人数で密葬が営まれた。
遺骨は、荼毘のあと自作の骨壺におさまって、横須賀に帰ってきた。
かつて。
骨壺は一慶が清水焼で作って、普段は砂糖壺にしてあったもので、
「まぁ先の話やが、これに入れてくれや」
と笑い話にしていたものである。
やがて。
四十九日が来た。
兵藤家の菩提寺は広島にある。
が。
みなみは敢えて、かつて取材で訪れたことのある鎌倉の法人が主宰する、海での散骨を選んだ。
理由は番組で前に語っていた一慶のコメントで、
「うちは散骨でえぇ。骨なんか海で魚の肥やしにしたって構へん」
という映像があり、このときみなみも同席していたからである。
鎌倉沖の船から骨を海に撒いたみなみは、
「これでカズは居場所にたどり着けたかな」
とだけ、小さくいった。
奇しくも。
いつか見たような、雲の裂け目から光の条(すじ)を射した空が、相模湾の頭上には広がっている。
雲の破れた先の空は、底抜けに青かった。