【完】『ふりさけみれば』
エピローグ

みなみとみのりへ



この手紙は、みのりがお腹の中で女の子だと分かって、みのりと名付けるにあたって書いたものです。

これをみなみとみのりが披見するとき、果たしてどのような状態か、そこは分からないけど、伝えたいことがあるので書いておきます。

まずはみのりへ。

あなたが生まれ育ち、大人へと成長する頃、あなたの周りの世界はどうなっているでしょうか。

おそらく、余り生易しくはない、厳しいこともあると思います。

しかし、めげてはなりません。

いつもどんなときも、必ず誰かがどこかで、見ていてくれているものです。

その誰かが、あなたがもうダメかも知れないとなったときに、救いの手を差し伸べてくれるかも知れない。

そのときに、心の底からあなたを助けたいと思われるような、そういう人になるのが、あなたの目指す道ではないかと思います。

そのためには。

優れた学校の勉強も、お金も、いざというとき大して役には立ちません。

むしろ役に立つのは、人が辛そうにしているときに、辛いんだなと感じられる、思いやる気持ちです。

それを持てば、この人にはこの方法で手を貸そう、この言葉で励まそうと考えることが出来るはずです。

その優しさと、自分はこうしたいという志と、その二つをしっかり持って見失わなければ、あなたの人生はより良いものになるはずです。


次にみなみへ。

みなみと知り合った当時、実はみなみのことを、よくは知りませんでした。

しかしけなげに仕事に取り組む姿と、とてもしあわせそうに、美味しそうな顔で食事をする姿を見て、この人はきっと根は好い人なんだろうなと感じたのです。

ただ、みなみには心配な面があります。

それは、せっかく持ち合わせた自分の良いところを、過少に評価しているところです。

みなみにはみなみの、良い面がいっぱいあります。おおらかで穏やかなところも、とても美味しそうに食べる姿も、澄んだ眼差しも、よく笑うところも、まるでカナリアのような耳に心地好い声も、そのすべてが、一つ一つすべてを、心から好もしく、この人に対して自分が情愛を深く持っていることを自覚するのです。

それは、好きとか愛してるというようなありきたりの表現では到底あらわし切れないほど、とてもとても強く感じるのです。

なので、仮にみなみが大きな決断をしなければならない際で自分がいないとき、みなみなりの後悔のない決断をしてさえくれれば、何も申し条はありません。

何より、みなみが決めたのなら、それはさまざまな事々物々よりも尊重されるべきことなのですから。


むすびに、これだけはいい置いておきます。

自分のような、我の強い、大した度量ではない者に惜しみ無い愛情を注いでくれて、心の底より感謝をしています。まだ半分も返せていませんが、この手紙で少しでも報いになればと思います。

ひとまずは、これにて。



親愛なるみなみへ 一慶より




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