流れ星に4回目の願いを呟く時。
 人が恋をする仕組を証明出来たら、それだけでノーベル賞ものだと思う。


 人が言葉を習得する仕組を証明しようとする学者は多いらしいけれど、皆が納得のいく答えは未だ見つかっていないという。


 恋愛と同じように、言葉というものは不確かなものだ。


 状況や場面、社会的地位、話す相手。それぞれに応じて、私たち人間は自然と言葉を使い分けている。同じ音の言葉でも、それによって違う意味を伝えられる。


「同じ好きでも、私とあなたの好きは違うね。」なんて言えるのもその為。


 そう考えれば、本などに乗っている活字の言葉は全て偽物に思えてくる。誰がどこで、いつ、どの様な精神状態で読んだかによって、その解釈を変えてしまう。


 どちらかと言えば、特定の誰かに対して送られる手書きの手紙の方が、より本物に近いものと言えるだろう。しかし、だからこそ、手紙みを書く時には注意が必要だ。



 だけどそれは偽物というより、不確かでは無い、誰が読んでも唯一の解釈しか存在しない人類普遍の言葉を創り出すということは、不可能に近いものという風になるだろう。


 文法だけ一生懸命勉強しても、私たちは直ぐに外国語で自分の細かな精神状態とか、複雑な恋心を簡単に書いたり話せたりするようにはならない。


それが出来たとしても、本当に自分が言たかったことが相手に全く同じように通じるかなんて、同じ日本人でも難しいことは良くある。


 文法という一見確かなものの様に思えるものでも、伝えられない事は沢山あるのだ。





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