流れ星に4回目の願いを呟く時。
公園には誰の声もなく、朝露に濡れた遊具たちが放課後に備えて、静かに息を潜めている。その奥に小さな見晴らし台があった。
昔は元旦の朝に父とここへ来て日の出を見た。私が中学にあがる頃までそれは続いて、帰りに必ず神社の屋台で父は綿菓子を買ってくれて、自分はリンゴ飴を買って、一緒に食べた。
この町にはお祭りという習慣が無かった。だから私がそう言ったものを食べれるのは、決まって運動会やお正月に出ている屋台くらいだった。
あの頃は未だ大型ショッピングモールだとか、大型チェーンの飲食店や居酒屋だとか、今では当たり前のようなものが無くて、でもそれが当たり前だった。
子どもたちの遊び場は海か公園で、買い物なら駄菓子屋だった。自販機のジュースは100円で飲めたし、ガソリンの値段に文句を言う大人もいなかった。
テレビを点ければ金土日の夜はアニメが放送されていて、野球のナイターを観るお父さんとよくリモコンの取り合いになった。
思い出すと、なんだか笑えてきた。
昔は元旦の朝に父とここへ来て日の出を見た。私が中学にあがる頃までそれは続いて、帰りに必ず神社の屋台で父は綿菓子を買ってくれて、自分はリンゴ飴を買って、一緒に食べた。
この町にはお祭りという習慣が無かった。だから私がそう言ったものを食べれるのは、決まって運動会やお正月に出ている屋台くらいだった。
あの頃は未だ大型ショッピングモールだとか、大型チェーンの飲食店や居酒屋だとか、今では当たり前のようなものが無くて、でもそれが当たり前だった。
子どもたちの遊び場は海か公園で、買い物なら駄菓子屋だった。自販機のジュースは100円で飲めたし、ガソリンの値段に文句を言う大人もいなかった。
テレビを点ければ金土日の夜はアニメが放送されていて、野球のナイターを観るお父さんとよくリモコンの取り合いになった。
思い出すと、なんだか笑えてきた。