君と、美味しい毎日を
10.卵焼き
職場である裁判所からの帰り道を私は足早に歩いていた。

せっかくの金曜日だと言うのに、溜まった雑務を終えるのに時間がかかってすっかり遅くなってしまった。


ふと前方に目を向けると、爽やかなミントグリーンのワンピースに白いジャケットを合わせたファッション誌から抜け出てきたようなお洒落な女の子が歩いてくるのが見えた。

この辺りはエリア柄なのか、私もそうだけど男女ともに地味なスーツのビジネスマンばかりだから彼女はとても目立っていた。

隣に立つ背の高い男性もスーツでなく、ネイビーのジャケットにグレーのパンツというカジュアルダウンしたスタイルを着こなしていて、本当に雑誌の撮影か何かかと思ってついついカメラを探したくらいだ。


はっきりと顔が見えるくらい距離が近づいた時に、思いがけず向こうからを声かけられた。

「やっぱり、瑶だ」

見慣れた笑顔だった。

「え!? 昴? うわー、びっくり。
全然気づかなかったよ」

「なんだ。チラチラこっち見てるから、お前も気づいてたのかと思った」

「ううん、すごく綺麗な女の人がいるなーって見とれてたの」

「俺じゃないのかよ」

私は綺麗な彼女の方を向いて、頭を下げた。
近くでも見ても、本当に綺麗な子だ。

「デートの邪魔しちゃってすみません」

「デートじゃないよ。会社の後輩の宮谷さん。クライアント企業のイベントの帰りなんだ。
宮谷、こっちは俺の大学の同級生」

私の言葉を遮るように、昴が言葉を重ねた。
昴の言葉に彼女は不満そうな表情を見せたから、私は彼女が昴に好意を持っていることに気がついた。

「宮谷、俺ちょっとこいつの家に寄るかさらさ。
駅、目の前だしここで解散でいい?」

彼女は何か言いたそうにしていたけど、昴が強引にお疲れ様と言って帰してしまった。


「昴、いま私を利用したでしょ?」

「うん、利用させてもらった」

「女の子にあんな態度、らしくないね」

「苦手なんだよ、あの子。それに最近はいい先輩ぶるのも疲れてきてさ」

「長年ぶりっ子してたくせに、何を今さら・・・。 あれ? ほんとにうち来るつもりなの?」

昴は私と一緒に地下鉄の改札を通ろうとしている。昴の家はここからならJRの筈だった。

「うん、上司からいいワイン譲ってもらったから飲もうぜ」

「いいけど、風邪はもう平気なの?」

「もうすっかり」

「今からだと終電なくならない?」

「明日なんもないし、朝帰るよ」

「あっそ」


私の部屋は地下鉄の駅から徒歩5分のマンション。 1DKだから決して広くない。

この部屋に昴が泊まっていくことはこれまでも何度かあった。
って言っても、色っぽい意味はなくて、私はベッドで昴は床で毛布にくるまって文字通り寝るだけだ。

昔は一緒に暮らしていせいか、特に抵抗は感じなかった。
昴の方も大介くんのところに泊まるのと同じような感覚みたいだ。


「じゃ、一週間お疲れさま」

私達は軽く、グラスを重ねた。
高そうな白ワインが揺れ、良い香りが鼻をくすぐる。

「あー、美味しい。 こんないいワインをくれる上司がいるなんて、やっぱり華やかな業界だよね」

お堅い公務員の私には昴のいる世界は想像もつかない。
最近は飲料メーカーのCMを担当してるって言ってたっけ。

「さっきの子もモデルさんかと思った。すっごい美人」

「あー、まぁ美人だね。それは否定しない」

「何が不満なのよ?

今まで昴が付き合ってきた子と似たタイプに見えるけど」

昴が怪訝そうな顔を向ける。

「俺、遊んでる子をお前に紹介したことあったっけ?」

「社会人になってからは知らないけど、学生時代の子は何人か見たことある。
昴、自分で思ってる以上に有名人だったんだよ。 すぐ噂になってたし」

女の子のネットワークの凄さは男には一生、わからないんだろうな・・・
別に知りたくなんてないのに、色んな人が色々教えてくれた。



「瑶はそれ知ってて、何も思わなかったんだ?」

昴の声が一段低くなった。
イラついた時の昴の癖だ。

「どういう意味?
真面目に付き合いなさいって怒って欲しかったの?」

本当の妹ならともかく、元妹の私にはそんな権利ないだろう。

昴が何をイライラしてるのか、私にはさっぱり理解できなかった。

「俺がさっきの子と付き合ったらさ、社内だし結婚とかそういう話になるかも知れないよ。
俺が誰かと新しい家族を作るなんて、瑶は嬉しいの?」

「嬉しいよ、当たり前でしょ。
昴だって、昔、私が高橋君と付き合った時に幸せになってほしいって言ってくれたじゃない。
私だって、昴に幸せになってほしいよ」

「あんなの、本心じゃなかった。
俺はあの頃も正直言えば今だに、高橋なんて大嫌いだよ」

昴は泣きそうな目をしていた。

何をこんなに、子供みたいに怒っているんだろう。
まるで、中学生だったあの頃に戻ったみたいだ。

「ちょっと落ち着いてよ、昴。
支離滅裂で意味わかんないよ」

「わかってないのは瑶の方だろ。
いい加減、ちゃんと俺を見ろよ。

ーー俺がずっと誰を欲しいと思ってきたか、本当にわかんない?」

「・・・わかんないよ。
昴は私を女として見てくれたことなんて一度もなかったじゃない。 他の女の子に向ける優しさの欠片も私にはくれなかった」

私は唇を強く噛み締めていた。
そうしないと、泣きそうだったから。

何で私は泣きたいんだろう。
何で昴は怒ってるんだろう。

何で私達はこんな恋人同士のようなケンカをしてるんだろう。

恋人でも何でもないのに。


「逆だろ・・俺には瑶だけが女だった。
ずっと昔から瑶だけが。
妹とも友達とも、どうしても思えなかった。

瑶だって、とっくに気付いてた筈だ」

私は溢れそうになる涙を必死でこらえて、ただただ首を横に振った。

嘘つき と私の耳元で昴が囁く。


ーーじゃ、気づかせてやるよ。



昴の腕が私の肩を抱く。

私達は15歳だったあの時より、

もっとずっと激しいキスをした。

床に倒れたグラスが音をたてて割れ、部屋にワインの香りが広がる。

その香りに包まれて、昴は私を抱いた。

息もできないくらい、

強く、

強く、

強く。


昴は野生の獣のように獰猛で、ぞっとするくらい美しかった。



昴の言うとおり、私は嘘つきだ。

本当はずっと前から知っていた。

いつからか昴が私に向ける眼差しが甘く優しくなったこと、

滅多に他人に本心を見せない昴が私にはいつだって素顔を見せてくれること、

子供の頃から幾度も幾度も、不器用な優
しさをくれたこと。


私は少女だったあの頃から、何一つ成長していない。

大切なものを作るのが怖くて仕方ない。

いつか失ってしまうのを恐れて、要らな
い振りをしてしまう。

だけど、もうとっくに昴は私の大切なものだった。

どんなに気付かない振りをしたって、また昴を失う日がくれば私は傷つくのだろう。

積み重ねた時間が増えた分、15歳のあの時よりもっとずっと・・・



「もう二度と瑶が俺が失う日なんて来ないよ。約束する」



































































































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