イジワル社長と偽恋契約
完璧と言っていい程のルックスと、誰でも何でも納得させてしまう巧みな話術。



数日前、私が玲子さんと廊下で話していたあの数分間の間に会議室では旭さんの熱意や、

今後の会社の方針などの熱弁が行われていたという事を、後日あの場にいた社員達から聞いた。


耳を奪われてしまうくらい人を引きつける力と、その説得力のある言葉にすぐに胸打たれ…

新社長になってまだ数日だというのに、既に旭さんを慕う社員も少なくない。



それに父である亡き白鷺社長への想いも感じられ、応援している人までいるとか…



そんな中私だけは彼の見る目は違っていた。


新社長を見る社員達の目はキラキラしているのに対し、

私は警察がめぼしい犯人らしき人物を見ているかのような視線を送っている…


私からすれば、旭さんはどう考えても純粋に父のあとを継いでこの白鷺ハウスの社長になったとは到底思えなくて、

ただの遺産目当てと地位と名誉が欲しいだけの低俗な人間にしか見えないのだ。



本妻との子供ではなくとも白鷺宏伸の息子である事には変わりない旭さんには、もちろん遺産相続の権利はあるしその他諸々も付いてくる…


だから父親が亡くなったのをいい事においしい所は持っていこうと…

ハイエナのような動物…

そんなふうにしか考えられない。



あんなに社員達が旭さんに期待しているのは何故だろう…

未だにそれが不思議だ。





「はぁ…」


鏡越しに壁掛け時計を見るともうすぐ家を出る時間が近づいている。


私は大きなため息をついたあと、カップに入っている紅茶を飲み干した。

そして化粧ポーチからグロスを出して唇に丁寧に塗っていく。



会社行きたくない…

こんな事思ったのは白鷺ハウスに入社してから初めてのこと。

まるで学校をサボりたい学生のよう。


以前は毎日社長に会うのが楽しみだったな…

それに仕事好きだったのに…

今は嫌な奴が社長になっちゃった。


しかもそいつの秘書だし!

あー嫌だ嫌だ!

でも行くっきゃないんだよね…



頬を両手でパンと叩いた私は気合を入れて家を飛び出した。

通勤ラッシュの電車に乗り込みぎゅうぎゅうに揉まれながら会社のオフィスに着くと、また行きたくない病が私を襲う。



こんなに行きたくないって思ったのは、香苗と遥也が付き合ったと報告を受けたつぎの日くらい…

あの時はさすがに大学に行く気になれなくて、カラオケにこもって真希に慰めてもらったっけ…


たけど今は真希はここにはいないし、友達に救ってもらう程もう子供でもない。

しっかりしなくちゃいけないのはわかってるけど…

やっぱりどうしても足がすくんでしまう。

大人になんてなかなかなれないものだ…





ガチャ…



自分の体を引きずるようにオフィスに入り認証コードを通って社長質へ入ると、私は自分のデスクに荷物を置いて部屋を一通り見渡した。


高級感の漂う落ちついた社長室は白鷺社長のセンスの溢れる部屋だったけれど、社長亡き今はがらんとしてどこか寂しげだ。


ここに入るのは辛い…

私はまだ社長が亡くなった事と、あの旭とかいう新社長が受け入れていないんだろう…






「さて…」
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