フルブラは恋で割って召し上がれ
 
 そのとき、軽く短いクラクションの音が私の思考を遮った。道路に目をやると、マネージャーが車を歩道に寄せて停車させるのが見えた。
 もう一度ちらりとスマホの待ち受け画面に目を落としてから、小さなため息と一緒にバッグの中にしまい込み、私はマネージャーの車に乗り込んだ。


 斎藤氏に連れてこられたのは、三軒茶屋の駅前にあるレストラン。予約をしてあったらしく、入ってすぐに斎藤氏がボーイさんに名前を告げると、「お待ちしておりました」と窓際の眺めのいい席に案内された。

 ちょうど夕飯時なこともあって、店内のテーブルはほとんど埋まっている。
 周囲のお客の和やかな雰囲気とお店の居心地の良さが相まって、素敵な空間が出来ていた。こんな風に楽しそうに食事しているのを見ると、実家での食事を思い出しちゃう。

 今度の休み、うちに帰ろうかなぁ……。なんてホールを見ながらぼんやり考えていると、向かいの席に座った斎藤氏の小さな咳払いが耳に入った。――いけないいけないっ。人恋しさの余り、心が実家に飛んでいっちゃってた。

「食事はコースを頼んでおいた。それでいいかな?」
「は、はい」

 姿勢良く椅子に座り直して、改めて斎藤氏を見る。
 今は見慣れたスーツ姿。店に入ったときから、ご婦人たちの視線を集めているのを知っているんじゃないかってくらいに、隙のないイケメンっぷりを発揮している。

 食事に誘われるってわかってたら、もっとドレスアップしてきたのに……って思うくらいに、今日の私の服装は普段着度数が凄すぎて肩身が狭くなるばかり。
 和也からの絶縁メールのショックが強かったのか、服を選ぶときもボーッとしちゃって、近所に買い物行くときみたいな格好で出社しちゃったのよね。
 さっきから、こっちをチラチラ見ている隣のテーブルの奥さま方。きっと斎藤氏と私とのアンバランスさに色々妄想しまくって話に花をさかせそう。


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