おいてけぼりティーンネイジャー
「一条くんは」
「暎(はゆる)でいいよ。」
アリサはちょっとためらってから、言った。
「暎くんは、中学3年生?陸上部?」
さっき着てたジャージに「track and field」と入れていることを思い出した。
「うん。アリサは?見たことのない制服だったけど私学に通ってるの?」
「ええ。私も中学3年。……陸上部かぁ。いいな。私、走れなくて。」
心臓が悪い、って言ってたっけ。
どう返事すればいいのかわからず、俺は口ごもった。
「走るって、私にとっては、有り得ないぐらい苦しいことなんだけど、普通は気持ちいいの?」
アリサの質問に苦笑した。
「いや、普通に苦しいよ。ただ、あまりにも苦し過ぎて、脳から快楽物質が分泌されて、気持ちいいとか楽しいとか勘違いするだけ。」
俺の言葉にアリサは少しガッカリしたようだ。
「そうなんだ。ずっと、手術して健康になったら思いっきり走ることが夢だったのに。」
げっ!
俺、アリサの夢を壊した?
慌てて続けた。
「いや、俺、短距離が専門だから、長距離の魅力がよくわかってないだけかも。練習の前後に2000メートルジョグでアップするんだけどさ、いっつもプラトンとかアリストテレスとか考えてんの。暇で。」
いつもみんなにからかわれて笑われるから、アリサにも笑ってもらおうと、そう言ってみた。
でもアリサは笑わなかった。
「プラトン。珍しいね。楽しい?」
調子狂うなぁ、なんか。
「楽しいよ。深い。シンプルな言葉で思考が宇宙より広がってく気がする。いつまでも浮遊してられそう、というか。飽きない。」
俺がそう言うと、アリサはうなずいた。
「それで『狭き門』も好きなのね?美しい堂々巡りですもんね。」
……けっこう身も蓋もない言い方するなあ。
「でもプラトンは純粋だけど、ジッドは揶揄してるわ。私はそれが腹立たしいの。」
揶揄。
まあ確かに、美しく書いてはいるけど、キリスト教の道徳批判ではあるか。
でも、別に腹を立てなくても。
「作家の意図や立場や思想はこの際置いといていいんじゃない?文芸作品として、ロマンティックでせつなくて苦しくて、俺はいいと思うけど。アリサは、作者自身にも作品の崇高さを求めるの?……石川啄木とか読めないよ?それじゃ。」
俺は、イロイロ言い過ぎたらしい。
アリサは、悲しい顔をして、ため息をついた。
「あなたのような人には、私の気持ちなんかわからないのよ。時間の無駄だったわね。帰って。」
俺は慌ててアリサのすぐそばに椅子を動かして近づき、うつむきがちな目を覗き込んで言った。
「俺のような、って、また言ったね?どういう意味?アリサと俺、どう違うの?」
アリサは胸を押さえて、しばらく黙っていた。
「アリサは、ジッドだけじゃなくて、俺も嫌い?俺は、アリサが好きだよ。はじめて会った時から、君を忘れられず、毎日図書館に通った。ほんとだよ。」
談話室内が不自然にシーンとしていることに気付いた。
部屋中の人に俺の告白は聞かれていた。
「暎(はゆる)でいいよ。」
アリサはちょっとためらってから、言った。
「暎くんは、中学3年生?陸上部?」
さっき着てたジャージに「track and field」と入れていることを思い出した。
「うん。アリサは?見たことのない制服だったけど私学に通ってるの?」
「ええ。私も中学3年。……陸上部かぁ。いいな。私、走れなくて。」
心臓が悪い、って言ってたっけ。
どう返事すればいいのかわからず、俺は口ごもった。
「走るって、私にとっては、有り得ないぐらい苦しいことなんだけど、普通は気持ちいいの?」
アリサの質問に苦笑した。
「いや、普通に苦しいよ。ただ、あまりにも苦し過ぎて、脳から快楽物質が分泌されて、気持ちいいとか楽しいとか勘違いするだけ。」
俺の言葉にアリサは少しガッカリしたようだ。
「そうなんだ。ずっと、手術して健康になったら思いっきり走ることが夢だったのに。」
げっ!
俺、アリサの夢を壊した?
慌てて続けた。
「いや、俺、短距離が専門だから、長距離の魅力がよくわかってないだけかも。練習の前後に2000メートルジョグでアップするんだけどさ、いっつもプラトンとかアリストテレスとか考えてんの。暇で。」
いつもみんなにからかわれて笑われるから、アリサにも笑ってもらおうと、そう言ってみた。
でもアリサは笑わなかった。
「プラトン。珍しいね。楽しい?」
調子狂うなぁ、なんか。
「楽しいよ。深い。シンプルな言葉で思考が宇宙より広がってく気がする。いつまでも浮遊してられそう、というか。飽きない。」
俺がそう言うと、アリサはうなずいた。
「それで『狭き門』も好きなのね?美しい堂々巡りですもんね。」
……けっこう身も蓋もない言い方するなあ。
「でもプラトンは純粋だけど、ジッドは揶揄してるわ。私はそれが腹立たしいの。」
揶揄。
まあ確かに、美しく書いてはいるけど、キリスト教の道徳批判ではあるか。
でも、別に腹を立てなくても。
「作家の意図や立場や思想はこの際置いといていいんじゃない?文芸作品として、ロマンティックでせつなくて苦しくて、俺はいいと思うけど。アリサは、作者自身にも作品の崇高さを求めるの?……石川啄木とか読めないよ?それじゃ。」
俺は、イロイロ言い過ぎたらしい。
アリサは、悲しい顔をして、ため息をついた。
「あなたのような人には、私の気持ちなんかわからないのよ。時間の無駄だったわね。帰って。」
俺は慌ててアリサのすぐそばに椅子を動かして近づき、うつむきがちな目を覗き込んで言った。
「俺のような、って、また言ったね?どういう意味?アリサと俺、どう違うの?」
アリサは胸を押さえて、しばらく黙っていた。
「アリサは、ジッドだけじゃなくて、俺も嫌い?俺は、アリサが好きだよ。はじめて会った時から、君を忘れられず、毎日図書館に通った。ほんとだよ。」
談話室内が不自然にシーンとしていることに気付いた。
部屋中の人に俺の告白は聞かれていた。