Trick or Love?【短】
「ここって……」


目の前の六階建てのマンションを見て呟くと、原口くんは私の顔を覗き込んできた。その表情は飄々としていて、どこか摑みどころがない。


「うち」


やっぱり……。

すぐに返ってきた答えは予想通りのもので、タクシーの中で何となく予感していたことも相俟って驚かなかった。


「私達ってお試し期間よね?」

「そうだな」

「私、仮の恋人の家に入るつもりはないわよ」

「心配するな。合意の上じゃないなら手は出さない」

「そんなの……」


『信じられない』と続けようとして、グッと飲み込んだ。その場から動こうとしない原口くんが、本当にそのつもりなのだとわかったから。


この一ヶ月で、二人で色々な場所へ出掛けた。完全な密室だったのはドライブをした時の車内だけだったけど、雰囲気の良いバーでしっとりと過ごしたことだってあったし、私に手を出すチャンスはいくらでも落ちていたはず。


だけど……。
原口くんは、キスすらしてこなかった。


唯一奪われたのは、左頬。
そして、それはあの日のこと。

強引に迫ってきた原口くんを見た以上はキスくらいはされるのかと思っていたのに、彼が私に手を出したのはあの告白の日だけだったのだ。


「どうする?」


足を踏み出せずにいた私を、原口くんは余裕の笑みで見下ろした。彼はきっと、私の答えをわかっている。
だから、マンションの前から動こうとはしないのだろう。


「……約束は守ってよね」

「あぁ」


にやりと笑われて、思わず後退りそうになる。原口くんは、そんな私の心情を見透かすように意味深に微笑みながら歩き出した。

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