貴方がくれたもの
ケースは埃をかぶっていたが、楽器に際立った傷みはなく、弦を張り替えればすぐに使えそうだった。
道子は使われていない洋間に入り、手早く準備を整えた。
弾く曲目は決めている。あの時、最後の大会の時、予想に反し、ギリギリ8位入賞を果たした曲だった。
メンデルスゾーンのチェロソナタ第2番。
道子にとってチェロが一番生き生きと輝く曲だ。
ピアノ伴奏を頭の中で補いながら、道子はがむしゃらに弾いた。
この曲を選んだのは柳之介だった。
道子に一番似合っていると言われ、押し切られる形で渋々了承したのだ。
楽譜に忠実に弾くーーいやむしろ楽譜に忠実にしか弾けないーー道子にしてみれば、この曲を自分が弾くなど、この曲で一番評価しているのびのびとしたところを打ち消してしまう気がして、恐ろしかった。
道子の練習に付き合ってくれた教授でさえ、何度か曲目変更をちらつかせることがあった。
けれど、道子はやりたかった。
柳之介が自分に似合うと言ってくれた言葉を信じたかった。
自分ではなくて、他人に縋るしか自信を保てないところも、道子が柳之介に自分は合わないと感じる点であった。
約30分。
第一楽章から第四楽章まで一気に弾き終えると、道子は全身が汗ばんでいるのを感じた。
余韻に浸っていると背後から拍手が贈られた。
道子は立ち上がり、恭しくお辞儀をし、舞台から降りるようにチェロを抱えて部屋の隅に横たえた。
「みっちゃん、上手になったね」
祖母に聴かせるのは、幼少期ぶりだった。
「そりゃそうよ、私、音大出てるのよ」
返した言葉に、自信がついているのがわかった。こんなことだったのか、と道子は少し拍子抜けした。
久々に触ったチェロは愛しく、手のひら、指先にまで吸い付くようだった。
「私、弁護士になるわ」
祖母にそう宣言すると、彼女は皺まみれの顔をさらに皺くちゃにして笑った。
「みっちゃんは頑張り屋さんね」
道子は気がついた。
ようやく、柳之介が言っていた言葉の意味を理解した。
そうだった。
自分は努力ができるのだった。
結局才能には勝てないけれど、人一倍努力をしてここまで来たのだった。
一生懸命積み重ねた足場は、しっかりと道子を支えていた。
羽がなくとも卑屈になることなどないのだ。
その分、足場を高く積めばいいのだから。