冷たい舌
「加奈子」

 ふいに後ろからした声に、びくりと加奈子は肩を揺らす。

 普段着に着替えた忠尚がそこに居た。

「あ……忠尚さん」

「ちょっと来い」

 そう言った忠尚の眼つきは、見慣れた透子でさえ怖かった。

 悪戯の現場を見つけられた子供のように、加奈子は身を縮めている。

 それでも、彼女は忠尚に逆らえない。

 加奈子が忠尚に連れられていったあと、張り詰めていた空気が途切れ、みな、一様に息をついた。

「こっわ~。あれ、忠尚の女かよ。可愛い顔してんのに」

 龍也は呆れたように人波に紛れていく加奈子の後ろ姿を見ていた。

 透子は自分を守るように立っていた和尚の袖を引く。

「あ、あのね、和尚」

 あんまり結婚の話を言って歩くなと言おうとしたのだが―

「なんだ。なんか文句があるのか」
とあの低い声で先手を打たれて、透子は、いいえ、なんでもございません、とそそくさと御札の束の方に向き直る。

「お前の意思はその程度か……」

 さっき加奈子を見ていた目線より、もっと冷たい目で龍也は姉を見下ろした。
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