フキゲン課長の溺愛事情
 達樹が壁につけた手で、ギュッと拳を作った。

「最初……水上にルームシェアを持ちかけたときは、本当に下心はなかった。帰国して早々、元カノと共通の友人との結婚式に招待されて、そいつらが日本国内とはいえ遠距離恋愛の末に結婚すると聞かされたんだ。美咲に未練はなかったが、おもしろくない気分だったよ。この部屋にひとりでいたくなくて、困っている水上に声をかけた。だけど、気づいたら、水上のためになにかするのが楽しくて、水上になにかしてもらうことがうれしくなっていて……水上なしじゃいられなくなっていた」

 璃子の目の前で、達樹の肩が、込み上げてくる感情をこらえるかのように一度大きく上下した。

「悪いが水上……俺がこうして耐えている間に、俺の腕の中から逃げ出してくれ。俺に触れないように。もし水上に触れたら、二度と離せなくなりそうだから……」

 璃子の視界の端で、達樹が唇を引き結ぶのが見えた。

 璃子はそろそろと右手を伸ばして、達樹の白いシャツの胸に触れた。彼がビクッとして顔を起こす。

「俺に触れるな、と言ったはずだ」

 達樹が苦しげな表情で、押し殺した声で言った。
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