人格障害の子に恋をした
とりあえず国公立大学しか入れる経済力がなかったことと、このような精神状態で一人暮らしは無理だろうと考え、住んでいる県内の大学である、県立大学に出願した。
目指していた学部に入るために必要な点数に比べれば、かなり低い点数で入れる大学だった。
出願した理由はもう一つ、二次試験は小論文と面接のみだったことがある。
私はもはや勉強などできなくなっていた。
そして私は県立大学に入学することができた。
もう全てがどうでもよくなっていた。
自分が置かれた現状を受け入れる余裕もなかったし、今まで築き上げてきた全てのものが無駄になったと感じた。
過去のフラッシュバックは、センター試験前よりは軽減されたものの、まだ続いていたし、この頃から、自分の感情をコントロールできなくなっていた。
ちょっとしたことでカッとなったら、何か身近にある物を思いっきり投げて破壊するとか、大声をあげて叫んだりとか、
そういう方法でしか、激しい怒りを鎮めることができなくなっていた。
ダメ人間になっていく自分が怖かった。人と関わることも怖かった。
そのような自分を変えたかった。どんな方法を使ってでも、納得して生活できるようになりたかった。
まだこの頃は、看護学科に入学したからには、できるからには、看護を好きになれたら、それを生きがいにできたら、と若干の望みを持っていた。
目指していた学部に入るために必要な点数に比べれば、かなり低い点数で入れる大学だった。
出願した理由はもう一つ、二次試験は小論文と面接のみだったことがある。
私はもはや勉強などできなくなっていた。
そして私は県立大学に入学することができた。
もう全てがどうでもよくなっていた。
自分が置かれた現状を受け入れる余裕もなかったし、今まで築き上げてきた全てのものが無駄になったと感じた。
過去のフラッシュバックは、センター試験前よりは軽減されたものの、まだ続いていたし、この頃から、自分の感情をコントロールできなくなっていた。
ちょっとしたことでカッとなったら、何か身近にある物を思いっきり投げて破壊するとか、大声をあげて叫んだりとか、
そういう方法でしか、激しい怒りを鎮めることができなくなっていた。
ダメ人間になっていく自分が怖かった。人と関わることも怖かった。
そのような自分を変えたかった。どんな方法を使ってでも、納得して生活できるようになりたかった。
まだこの頃は、看護学科に入学したからには、できるからには、看護を好きになれたら、それを生きがいにできたら、と若干の望みを持っていた。