罪深き甘い囁き
「彼氏は?」
「いないわけがないじゃないですか。私、もう26歳になるんですよ?」
「そうだよな」
先生は自嘲気味に笑った。
「あの頃もしも……」
不意に先生が遠い目をして桜を見つめる。
「……もしも?」
「もしも、凛の手を取っていたら、未来は変わっていたかな」
「えっ……」
思い掛けない言葉が私を惑わせる。
先生の優しい眼差しが、私の心を過去へと引き戻す。
入り浸った化学の準備室。
先生と交わした会話。
思い焦がれて涙した夜。
どれも鮮明に覚えていた。
100%無理だと分かっていながら、今すぐ過去に戻ってやり直したいと強く願ってしまった。
過去だからこそ美しいのだということは、分かっていた。
それでも、胸の高鳴りは消し去ることができなかった。
このらくがきのように。
「……先生」
やっと絞り出した声。
見つめ返してくれた先生の視線は、何かを秘めて揺らいでいた。
「こうするのは初めてだな」
私の肩を抱いた先生の手は、あの頃は知る術のなかった温もりだった。
私達の姿を隠すように、桜が一陣の風に乗って舞った。
―桜色の誘惑 fin―