あの頃の私は知らない。
――――――――――
――――――
「あ、宇佐美」
ざわざわと賑やかなライブハウスの前、やっぱりやめておこうかと尻込みしていた私の前に、彼は現れた。
心の準備が出来ていなくて、その姿を見た途端、逃げたくなってしまった。
「こ、こんにちは」
「……よかった、来てくれた」
心底ほっとしたように彼はそう言って笑う。その笑顔を見て、私もほっとした。
「宇佐美に聞いてもらえるって思ったら、なんか、すごい緊張してきた」
「え、あ、じゃあやっぱりやめておく」
「それは駄目」
帰ろうとした私を勢いよく引き留めて、彼はそっと目を伏せた。
ずっと言いたかったことを言うなら今だと思った。あの夏の感情をすべてここに置いて帰ろうと思った。
「……、あのね」
口を開きかけたときだった。彼の携帯が着信を知らせる。どうぞ出て下さい、とジェスチャーすると申し訳なさそうに、ありがとう、と言って電話に出た。
タイミングを逃してしまった。こういうことって多分、勢いに乗せて言ったほうが言いやすいんだろうなあと電話をする彼の横顔を見ながら思う。