あの頃の私は知らない。
きゅっと指先を握る彼の両手は、私を逃がしてくれない。
「……私には、無理だよ」
「どうして」
低い声がゆっくりと耳に伝わる。目をぎゅっと閉じて、彼の瞳から逃げようとした。
だって、と口を開けば言葉が落ちる。
「もう一度園田くんと音楽をしてしまったら、きっと私戻れない」
「……え」
「楽しくて仕方なくなって、音楽から逃げられなくなる。それじゃ駄目なの、私はもう子どもじゃない」
彼の眉がぴくりと動いた。綺麗な顔が歪む。
「あの夢は忘れたの。あの夏のことは大切な思い出なの。おばあちゃんになったときに、ああそういえばそんなこともあったねって、懐かしく思い出すものでいいの」
矢継ぎ早に紡いだ言葉。すべて言い切ると、しんと沈黙が訪れた。
「……宇佐美、こっち見て」
乾いた声で彼はそう言った。ゆるゆると首を横に振ると、顔を両手でそっと掴まれた。覗き込むように私の顔を見た彼と目が合う。
「忘れたとは言わせない、思い出になんかさせない」
泣きそうだ、私も、彼も。心の奥の奥の奥の、そのまた奥に仕舞いこんであったはずの感情が、ものすごい勢いで溢れてくる。
「俺はずっと宇佐美と音楽がしたかった」