ウサギとカメの物語
私はこの時、カメ男の知られざる仕事への集中力を知ることになった。
ヤツが地味にコツコツ仕事をこなすタイプだというのは、もうなんとなく分かってはいたんだけど。
そのスピードが凄まじかった。
普段のそのそ歩く姿からは想像もつかないような、超高速の処理能力。
それは静かになった事務所内に響き渡るヤツの電卓の音と、パソコンのキーボードの音が物語っていた。
おそらく真野さんの残っていた仕事もやっているのだろう、私と奈々の2倍以上の仕事を短時間にやってのけたのだ。
明日に回せるものは全部明日にして、とりあえず急ぎの分だけをピックアップして、私も必死に仕事を終わらせるべく勤しんだ。
やがて、私たち3人の仕事がようやく終わった頃。
時刻にして21時を回った頃。
バタバタと慌ただしい足音と共に、事務所のドアがバン!と音を立てて開かれた。
私たち事務員と、数名残っていた営業課の社員、そして熊谷課長と藤代部長。
全員がドアの方へ注目する。
そこに立っていたのは、息を切らした美穂ちゃんだった。
彼女の目には涙が溜まっていた。
「美穂ちゃん?どうしたの?」
もうかなり前に帰ったと思っていたから、どうしてここにまた戻ってきたのかと不思議に思う。
私が声をかけると、美穂ちゃんは無言で白いコートのポケットから何かを取り出した。
それはメモ用紙。
そこに書かれていた文字。
「奥寺さま」
「日にち変更」
「25日→26日」
たった短い3行の言葉。
メモを読んだ私が呆然としていると、カメ男が近づいてきてそのメモを手に取った。
「君だったのか、電話を取ったの」
ヤツがそうつぶやいた声は、怒っているわけでもなくホッとしている風でもなく。
とにかくいつもと同じ口調だった。