ウサギとカメの物語


席がほぼ埋まったところで、社長が乾杯の音頭をとる。
それを皮切りに宴会が始まった。


各支店からも社員が集まるから、知らない人がほとんどのこの社員旅行。
その間を切り抜けて、私は早速ビールを注ぎに上座の席へ来ていた。


「おっ、大野さんじゃないか!今日は注ぎに来るの早いねぇ!いやぁ、本当に君は気が利くんだから」


藤代部長の私に対する決まり文句。
「気が利く」。
これしか飲み会の時に言わない。
ボキャブラリーの少なさが伺えてしまう。
他に褒めるところ無いのかよ、って。
無いんだろうなー、私って平凡だものね。


こういう時くらいしか交流しない社長や副社長にも、流れ作業でビールを注いで。
それなりに話をして。
社会人って本当に大変。


そして今どきの若い子ってなかなかお酌したりしないからビックリする。
普通に自分の席で美味しくお酒飲んでるし。
私もそうしたいけど、でもお酒を注ぐのって一応仕事の一環としてやっておいた方が損は無いかなって思うのだ。


ひと通りお酌を終えて席に戻ると、奈々の姿はどこにも無かった。
その代わりに、違う人が彼女の席に座っている。


「何してんのよ、ここで」


私が話しかけると、ヤツがゆっくりとこっちを向いた。
須和だ。


「交換、って言われた」


カメ男はそう言って、ビールをゴクゴク飲む。


嫌な予感がしてやや背伸びしながら少し離れた席を見やると、なんとまぁさっきまでカメ男が座っていた場所にしっかりと奈々が座り、隣の田嶋とそれはそれは楽しそうに、いや幸せそうにお酒を酌み交わしているではないか。


社員旅行には期待してないって言ってたじゃん!
クリスマスに頑張るんだって言ってたじゃん!
ついさっき!
ほんとにさっき言ってたじゃんかあああ〜!!


奈々に二言アリだな、と思いながら、ムスッとした顔でカメ男の隣に腰を下ろす。
するとヤツは無言で私の空になっていたグラスに、ビールを溢れんばかりに注いだ。

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