ウサギとカメの物語


「あ、いたいた〜!コズ!」


大浴場に響き渡る声で私を呼ぶ声。
1人しかいない。


「おぉ〜、奈々。ごめんね、先にお風呂来ちゃって」


ちょうど洗い場で髪の毛を洗っている時だった。
彼女は「気にしないで〜」って言いながらこちらへ近づいてくる。


私が頭をわしゃわしゃ泡立てている隣に奈々も桶を持ってきて、ハァッとやけに大きなため息をついた。
その顔はかなりの憂うつ顔。


さては田嶋となんかあったな?
どれどれ、聞いてみるか。


「ため息なんてついちゃって。どうしたの?」

「宴会でさ、途中から順と微妙な雰囲気になっちゃって」

「うそぉ?なんで?」

「泉営業所の横山とかいう男がさぁ、めちゃくちゃ邪魔してくるのよ」


イライラしたように持参のクリアジェルを両手に取って、顔に塗りたくる奈々。
隅々まで顔中にジェルをすり込みながら、


「私に一目惚れしたとかなんとか言ってさ。本気なんだか冗談なんだか」


と舌打ちをする。


「ほおぉぉぉ〜。なんとまぁ、羨ましい!よっ、モテ女!」

「おだまり、コズ」

「すんません」


本気で怒っている様子の奈々に一喝されて、私は肩をすくめてごまかした。


「そしたら順が急に機嫌悪くなっちゃって。もう、ムードもなんもないよ。クリスマスが不安で仕方ないんだけど」


シャワーを顔に浴びせてしっかりメイクを落とした奈々は、こざっぱりしたすっぴん顔を私に向けて再びため息をついた。


「フラれたら慰めてね……」

「そんなバカな」


振られる訳が無いでしょ。
田嶋はどこからどう見ても奈々のことが好きなんだから。
むしろその機嫌が悪くなったのだって、明らかに単なる嫉妬じゃないのさ!
どうしてそんな簡単なことにも気づかないのかな、この奈々さんは。
まぁ、でも鋭いようで鈍感なこの子と、そして似たもの同士の田嶋だからこそ、今の今まで恋人になれないんだろうけど。


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