ウサギとカメの物語
なんのために、って。
仕事をスムーズに進めるために決まってるでしょうが。
やや不満気味に口を尖らせて、
「今回みたいに私の仕事を他の誰かにお願いすることがこれから先、無いとは言えないでしょ?だから先週作ったの。月末の忙しい時に分からなくなって、わざわざ問い合わせとかしなくても済むように」
と説明すると、カメ男は「すごいな」と言ってファイルをパラパラめくった。
「このマニュアル、よく出来てると思う。短時間で作ったのが信じられない。分かりやすいよ」
「そ、そんなに褒めても何も出ないよ」
「何も求めてない」
チッ、と舌打ちしそうになるのを堪える。
一刀両断された私のちょっと誇らしいこの気持ちはどうすればいいのさ。
まさかヤツに褒められるとは思ってもみなかった。
マニュアルひとつでビックリした。
「でも助かるよ。ありがとう」
カメ男はそう言って、パソコンの入力説明はいらない、と話した。
マニュアルを読めば分かるから、と。
少しホッとしたような顔をしながら。
それを見て、忙しい中チマチマとマニュアル作りに励んで良かったなぁ、と思うのだった。
自分の仕事を他の人に任せるのって申し訳ないし、任された方もいつも以上に責任を感じる。
だから少しでも助けになればと思って作ったから。
カメ男の仕事ぶりはもう分かってはいたけど。
私の分も含めるといつもの2倍の仕事量になるわけだし。
滞りなく進めばいいな、と願うばかりだった。
引き継ぎをする2時間弱の間、私とカメ男は仕事以外の私語はしなかった。
カメ男は私を見ることもなく引き継ぎに集中していたし、私もさすがに抜けている箇所は無いかアタフタしながら話していたから余裕も無かった。
こんなに近い距離にいても、目も合わないなんて少し切なかったけれど。
だけどこれが私たちの距離感なんだと感じた。