ウサギとカメの物語
「でも私、あの時初めて生で見たわ〜。お姫様抱っこ」
ほほほ、と真野さんがコーヒーを一口飲んで口元を抑えて笑った。
……今なんて言った?
お姫様抱っこ?
え、あのドラマとか映画でかっこいい俳優さんが綺麗な女優さんにする、あれ?
あの有名なお姫様抱っこ?
聞き捨てならないそのセリフに目をひんむいていると、奈々がニンマリと笑みを浮かべているのが視界に入る。
「須和のヤツ、普段地味なくせして意外と力持ちなんだから」
「あの〜……、もしもし?」
「なに?」
「お姫様抱っこ?」
……なんだって?
記憶に無いっ!
記憶に無いぞ、そんなの!
私の記憶の内蔵メモリーにはどこにもそんなの無いぞっ!
内心では相当動揺していたけれど、ニッコリ浮かべた微笑みは消さずに奈々と真野さんを交互に見比べた。
2人は「え、あなた覚えてないの?あぁ、まぁそうか、かなり酔ってたしねぇ。あらまぁ」っていうような顔を同時にして、そして先に奈々がいつもの茶化すような口調で言った。
「あんまりにもコズが店の前から歩かないから。誰が運ぶんだコイツってことになって。同期の男集はほとんど二次会行っちゃって。残ってた須和に頼んだの。そしたら、それはまぁ見事にヒョイって。コズの体を持ち上げて、こう……」
奈々は両手を下からすくい上げるような仕草をしていた。
「無駄のない動きだったわ、あの男。お姫様抱っこ。お店から大通りに出るまでの短い距離だけどね」
ななななな、なんてこったーーーーーーーい!!!!
魂が抜けて殻になった私は、人生においてこれまた誰にもしてもらったことのない女子の憧れのお姫様抱っこを、よりにもよって異性として意識すらしていなかったカメ男にされてしまったということに深いショックを受けた。
そしてそれと同時に確認しておきたい事項がひとつ。
熊谷課長にその現場を見られてしまったんじゃないかという不安要素があった。