ウサギとカメの物語
奈々の言う通り、ほんっと朝からこーんなに素敵な姿を拝ませてもらって、彼が本社に異動してきてくれただけでも感謝感激だ。
しかも同じ事務所にいられるということが私にとってはありがたい。
それはもう、盗み見の達人みたいになって、仕事の合間に熊谷課長のことをチラ見してしまうのだ。
私の日課になりつつある。
事務所に入るとそれぞれ社員たちがデスクについていたり、早々と仕事を始めている人もいたりして。
その人たちに新人の子たちが淹れたてのお茶を配るのが定番。
私たちよりも15分ほど早く出社した新人たちは、ワタワタと先輩社員にお茶を出していた。
自分のデスクの引き出しにお財布を入れて、ボールペンやら計算機やら仕事に必要な物を出していると、私の前に綺麗なジェルネイルを施した爪を持つ華奢な手が伸びてきた。
その手にはお茶。
お、この手は。
「ありがと、美穂ちゃん」
私は顔を上げると同時に、いつも派手なネイルをしている新人の東山美穂ちゃんにお礼を言った。
美穂ちゃんは秘書課に勝るとも劣らない女子力の高さを存分に発揮した可愛らしい顔を笑顔にして、
「大野さん、おはようございます!今日も1日よろしくお願いします!」
と言った。
フレッシュだなぁ、私も7年前はこうだったんだっけ?
いや、違うか。
月曜日なんてかったるい仕事の始まりを告げる最低な曜日として見なし、やる気のない挨拶を先輩たちにして回ってたっけ。
今からでも遅くないから、この短く切った爪を伸ばしてネイルでもして、ついでに睫毛にもエクステを施して、えっとそれから━━━━━……。
そこまで考えていたら、私のいる事務課のエリアの端っこから美穂ちゃんの声が聞こえた。
「須和さん、おはようございます!お茶です」
げ!須和柊平!
じゃなくて、カメ男!
私がチラリと横目で声のした方を探ると、出勤してきたばかりといった様子のカメ男のデスクに、美穂ちゃんがお茶を置いているのが見えた。
ヤツの髪の毛は起きたてと大差ないようなくしゃくしゃっとしたシルエットのままで、トレードマークというかそれしかインパクトのない黒いフレームのメガネをかけていた。
カメ男の唇が「ありがとう」と言っているように見えたけれど、声は聞こえない。
どんだけちっちゃい声しか出せないんだ。
昨日もボソボソ話してたもんね。
ツッコミを入れていて、なんだか自分に違和感を感じた。