ウサギとカメの物語
それから私と熊谷課長はワインを嗜みながら、なんだかとっても小難しい名前の料理をお上品に頂き、大人のオンナというものを目指して一言一句抜け目の無いように必死に課長との会話に勤しんだ。
私に持てる限りの女子力を捻り出して、笑い声さえもなるべく抑えたりして。
そしてずっと憧れていた熊谷課長との夢のひとときを、ものすごい緊張の中で過ごした。
ハッキリ言って料理の味とかワインの味とか、もはや緊張し過ぎてほぼ分からなくなっていたものの、「美味しいです!」を繰り返してその都度見せてくれる課長の笑顔にノックアウトされてしまい、ずーっとフワフワと雲の上を歩いているみたいだった。
こんなパーフェクトに素敵でイケメンな熊谷課長が、どうして私なんかを食事に誘ってくれたんだろう……。
興味が無ければ誘ってくれたりしないよね?
少しは脈があるのかなぁ?
仕事でだって接点はあるけどそこまで話すわけでもないし。
疑問だけが頭の片隅に残っていた。
食事の会計時、ウェイターがテーブルまで持ってきた伝票に書かれている金額を見て、私は恐れおののいた。
こ、こ、こんな金額ヤバすぎるでしょーーー!
平の事務員にはキツすぎる!!
普段の飲み代の5倍じゃん!!
無理無理無理無理無理無理!!
無理に決まってるううううううう!!
でも、付き合ってるわけじゃないんだし半分は払わないと。
最後の最後でどうにか自分の引き出しから常識を引っ張り出して、バッグからお財布を抜くと
「私、半分払いますから!」
と課長に言った。
うぅ……。
明日からもやしと納豆生活始めます。
もやし炒め始めます。
納豆ご飯始めます。
節約しなきゃーーー!
週末の飲み会もぜーーーんぶキャンセル!
すると熊谷課長はキョトンとした顔で私を見つめたあと、当たり前というような声のトーンで笑うのだった。