ウサギとカメの物語
私が何も答えていないというのに、熊谷課長はいつもの爽やかな笑顔で
「よし、じゃ決まりだね。行こっか」
なんて言って、ジャケットを羽織り出した。
ま、ま、待ってよ。
私まだ何も言ってないじゃない!
決まったの?ホテル行くって決まったの?
いつ?いつ決まったの?
誰が返事したの?
小人さんか誰かそのへんにいたの?
私には全然見えないんですけどおおおおお!
流れるような早さで会計を済ませた課長は、お店の入口でコートをウェイターから受け取って着ている。
私も預けていたトレンチコートを羽織ったものの、まったくもってこの展開についていけてない。
ホテルに泊まったってさ、明日も仕事があるから会社に行かなきゃならない。
そうなると2日連続で同じ服で出勤するのとか、けっこう詮索されちゃうんですよ。
男の人はそういうの知らないかもしれないですけどね。
特にうちの会社なんて制服が無いから尚更。
絶対事務課の社員(主に奈々)から「あれー?昨日と同じ服だぁ~」とかわざとらしく言われるに決まってるんだから。
いや、そもそも。
それ以前に。
私、なんであんなに好きだと思ってた熊谷課長とホテル行くことにこんなに抵抗を感じてるんだろ?
ちょっと前までの私を考えると信じられない。
そんな私には気づかずに、熊谷課長はもはやお店から出ていこうとしている。
ダメだ、こんな気持ちのままホテルなんて行けないよ!
申し訳ないけど断ろう。
「あ、あのっ!熊谷課長!」
呼んだ時にはすでに遅し。
課長はお店から出ていったあとだった。
……だからさ。
せっかちすぎますってば、課長おおおおお……。