季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く
それからしばらくの間、マスターはただ黙って私を抱きしめ、何度も何度も優しく頭を撫でてくれた。

今までに経験のなかった、私の知らない心地よさだった。

公園を出てからマンションまでの道のり、マスターはあたたかい手で私の手を引いて歩いてくれた。

まるでそうするのが当たり前とでも言うように自然な流れで、マスターと手を繋いで歩くのはちっともイヤな気がしなかった。

マンションの下まで来ると、マスターは私の顔を見つめながら“おやすみ”と言って頭を撫でてくれた。

軽く手を振って帰っていくマスターの背中を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。

いつもより熱い吐息と、少し速い鼓動。

こんなふうに男の人にドキドキしたのは、いつ以来だろう?

順平と初めて会った時に感じたときめきとも、少し違うと思う。

それはまだ恋なんて呼べるものではないけど、私は久しぶりに胸が高鳴るのを感じていた。




部屋に帰ると、お風呂上がりの順平がチラリと横目で私を見た。

「ただいま…。」

なんとなく気恥ずかしくて、順平の目を見ずにリビングを横切ろうとした。

「遅かったな。」

「ああ、うん。マスターにコーヒーご馳走になってたから。」

「ふーん…コーヒーね…。」

マスターにコーヒーをご馳走になってたのは本当の事だし、マスターとの間にやましい事は何もないはずなのに、順平の視線が私とマスターの関係を疑い、勘ぐっているのではないかと思わせた。


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