季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く
順平は顔を上げずに、私にバスタオルを投げつけて脱衣所から出て行った。

その後すぐに、玄関のドアがバタンと閉まる音がした。

床に落ちたバスタオルを拾い上げようと下を向くと、ポトポトと水滴が床を濡らした。

「順平…。」

拾い上げたバスタオルに、涙でグシャグシャになった顔をうずめた。

冷たくしたり乱暴にしたり、そうかと思えば優しいキスをしたり、突き放したり。

もうどうしていいのかわからない。

「痛…。」

順平が噛みついた首の付け根を押さえた。

首筋と胸元にはいくつもの順平のキスの痕。


“朱里は誰にも渡さない。”


順平の言葉が耳の奥で何度も響いた。




その晩、順平は帰って来なかった。

次の日のバイトの時間になってもバーに現れなかった。

心配したマスターが電話をしても、電源が入っていないと機械の音声が流れるだけで、結局閉店時間になっても連絡がつかなかった。

「朱里ちゃん、順平から何か聞いてない?」

「いえ、何も…。」

夕べの事は、さすがにマスターには言えない。

バイト中に着る制服では順平の残したキスマークが見えてしまうので、首筋の目立つところはコンシーラーで隠した。

店内は薄暗いし、マスターは気付いていないと思う。

順平をあんな風にしたのは私だ。

気になっていた事は何一つ聞けていないのに、どこに行ってしまったんだろう?

今日は帰って来るだろうか?





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