季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く
夕方になり、ようやく今日の仕事を終えて着替えを済ませた。

そろそろバーのお客さんがやって来る時間だ。

更衣室を出て帰ろうとすると、早苗さんが事務所から顔を出した。

「あ…いいところに女神が…。」

「…女神?」

「バイトくんが熱で休むんだって。暇な日なら俺一人でもなんとかなるんだけどさぁ…今日は団体の予約が一組入ってるんだ。朱里ちゃん、手伝ってもらえないかな?」

「えっ…。」

これ以上早苗さんと一緒にいたくない。

一緒にいると、私の中でどんどん早苗さんの存在が大きくなってしまう。

「店長じゃダメなんですか?」

「あー…あいつんちは奥さんが妊娠中でね。さっき、ちょっと体調が良くないって奥さんから電話があったから頼めなくて。朱里ちゃん、今日だけお願い!」

いつの間にか呼び方が“朱里ちゃん”だ。

店長が事務所の奥から私に手を合わせている。

仕方ないなぁ…。

「今日だけなら…。」

「ありがとう!給料ははずんどくよ。」

「じゃあ…制服、貸してください。」


制服を借りて、また更衣室に戻った。

久しぶりにバーの制服に袖を通しながら、今日だけ、今日だけ…と自分に言い聞かせる。

仕方ないと言いながら、私は早苗さんと少しでも長く一緒にいられる事を喜んでいる。

早苗さんへの気持ちはもう捨てようって思ったところなのに。

本当は捨てられないとわかっているから、できるだけ早苗さんとは一緒にいたくない。



……嘘つき。

ホントは一緒にいたいくせに。

また、早苗さんに見透かされそうで、怖い。




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