とっくに恋だった―壁越しの片想い―


「平沢さん、このパン、なにかお皿にのせますか……」

聞き終わる前に、うしろから抱きしめられ驚く。
急にどうしたんだと不思議に思っていると、私の頭に顔をすり寄せた平沢さんが言う。

「これからは、触りたいときに触っていいんだなって思って」

平沢さんの髪から落ちた水滴が、ポタッと私の肩に落ちる。
ドキドキしながらも、平沢さんが首にかけているタオルに手を伸ばし、彼の髪を撫でるように拭いた。

後ろから抱き着かれているので、当然、拭きにくい。

私の髪は、シャワーから出てすぐにドライヤーをかけてきたくせに、平沢さんは自分のこととなると案外ずぼらだ。

絶対に口には出さないけれど、もちろんそんな部分も呆れることなく愛しく思うのだから、平沢さんが言うフィルターは分厚いんだろう。

でも、〝憧れ〟ではなく、〝好きなひと〟というフィルターだということは内緒だ。

「でも華乃ちゃん、あまりずっとだと嫌な顔しそう」
「……機嫌によるかもしれないですけど。でも、私の機嫌がどうかなんて平沢さんはすぐにわかるでしょ」

「まぁね。声でも顔つきでもすぐにわかる。……今、なんでもない顔してるけど、本当はちょっと戸惑ってるとかもわかるかな」

覗き込むようにして言われ、ぷいっと顔をそらした。
くっくと愉快そうな笑い声がすぐ後ろから聞こえてきて、本当なら睨んでやりたいのに、優しく包み込む腕のせいでできなかった。

「私も、本音を笑顔の向こうに隠してるかどうかくらいはわかります。だから、これからはなんでも言ってくださいね。仕事の愚痴でもなんでも話してください」

溜め込むとよくないことは、身をもって知っている。
回ったままの腕にそっと触れながら言うと、平沢さんは「ん」と柔らかい声で返事をした。


ふたりで笑いあいながら立つキッチン。
リビングでは携帯がメッセージを受信してピコピコとひっきりなしに鳴っていたけれど、聞こえないふりをする。

週明け、ふたりの先輩に質問攻めされる可能性を考えると頭を抱えたくなった。

本当に……幸せな悩みだ。



END



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